今回のインタビューは、「いつか海外で暮らしたい」という思いを胸に抱いていた隈本祐子さんを取材。第1章、第2章、第3章の3回にわけて、隈本さんの経験をお届けします。
2026年1月現在も、中国にて駐在同行生活を過ごしている隈本さん。初めての中国での生活、太極拳との出会い、そして自分自身の内面の変化についてじっくり語っていただきました。
学生時代に芽生えた海外への憧れ、旦那さんの海外赴任の知らせを待ち続けた日々。実際に中国行きが決まった瞬間の戸惑いと期待、そして到着してからの慌ただしい日々。さらに、太極拳の世界に飛び込んだことで見えてきた中国の人たちの温かさや文化、そこから起こった自分自身の変化——。
中国での挑戦の全容をごらんください。
海外への思いと、7年前の“最初のサイン”
隈本さんが”海外に行くかもしれない”という未来を初めて意識したのは、お子さんが2歳の頃だったという。今から7年前のことだ。
当時、旦那さんの会社で”海外に行きたいか”を問うアンケートがあり、旦那さんはYESを選択。
「もともと海外に行きたいという思いがあったから、いつでも行く!という気持ちでいた」
と隈本さんは当時を振り返ります。
しかしそこから実際に辞令が出るまで5年。
「”いつか行く”と思いながらも、日々の生活は続く。行くかもしれない、でもいつかはわからない。その宙ぶらりんな期間が長くて、習い事を始めても”すぐ辞めるかも”、洗濯機を買い替えるにも”あと何年使うかわからない”と買うことを迷う。そんな生活が続いて、”早く決まってほしい!”という気持ちがどんどん強くなってきた」
なかなか決まらない海外駐在に生活の軸が定まらないことがあったことも教えてくれた。
一方で、新しいことに動き出せたタイミングだったとも隈本さんは語る。
「海外に行くなら仕事は辞めることになるだろうと思っていたから、渡航からの帰国後を見据えて資格を取ったり、働き方を子どもに合わせて変えたり、会社勤めのままでは踏み出せなかったことにも自然と挑戦するようになった」
もやもやする気持ちで立ち止まらず、行動にうつせるのは隈本さんの強みだと思う。
「子供たちには小さい頃から”いつかどこかに行くかもよ”と言い聞かせてきた。世界地図を見ながら”ブラジルかな?”と想像してみたり」
未来の形を親子で一緒に描くことで家族での移住への準備を進めていた隈本さん。
ついに2023年7月、1年生が終わるタイミングで正式な内示。
旦那さんは先に3か月前に出発。隈本さんと子どもたちは後から合流する形になった。
“中国”という響きへの戸惑いと、海外への強い思い
行き先が「中国」と聞いたときの気持ちはどうだったのか尋ねると、隈本さんははっきりこう言った。
「国としてどこでもよかった。でも中国と聞いた瞬間、日本の報道のイメージが強くて”え、中国?一番行きたくないかも”と思った。」
ニュースで見聞きする中国の印象は決して良いものばかりではない。知識も経験もない国への不安は当然大きかった。
「それでも、心の奥では”日本にずっといるよりも外に出たい”という思いだった。」
当時を振り返って隈本さんは語る。
大学時代に初めての海外旅行をして世界の広さに夢中になった隈本さん。20歳の頃には頻繁に海外へ出るようになっていたという。とくにタイが大好きで、転職のタイミングで1か月滞在して語学学校に通い、覚えた言葉をすぐ使って喜んでもらえる感覚がとても楽しかったという。
「カナダ人のおじさんとフェリーで偶然知り合い、Hotmailを交換し、その出会いがきっかけで英会話教室に通い出したこともあった。文法が嫌いで英語学習は得意じゃなかったけど、言葉の壁が少しずつなくなっていく感覚は励みになった」
出会ったばかりの人とでもすぐに仲良くなれるのは隈本さんの昔からの強みのようだ。
そんな隈本さんの生活も子どもが生まれてからは変化があった。
「独身の頃みたいに危険な場所に行ったりはできないと思ったし、自分の判断だけで動けないと思った。子連れでの旅行は、海外に行ったとしても自分が楽しめない」
子連れではなかなか行きにくいような旅行先が好きだった隈本さんは、子供を連れての海外旅行は難しいと感じていた。
だからこそ、旅行としてではなく“生活として海外に住む”という発想のほうがしっくりきたのだという。今回の海外赴任の話が出た瞬間に迷いなく”行きたい”と思えたのもそんな背景があったからこそ。
中国到着直後の1か月——生活の立ち上げと、終わりの見えない奔走
2023年7月。
隈本さんと子どもたちはついに中国に到着した。
「到着後の最初の1か月は子どもたちの夏休み期間と重なり、「とにかく生活しなければ!」という緊張感の中で始まった。」
当時を思い出して隈本さんは笑顔で話す。
・どこで食材を買えばいいのか
・買い物アプリすら登録していない
・先に届けていた段ボールは旦那さんに開封されることはなくほぼそのまま
・歯ブラシも箱に入ったまま
生活の基本が整っていない状態でのスタートだったという。
「仕事を長く続けてきたから、子どもと1か月丸々夏休みを過ごした経験は初めてで、それもまた不安材料だった」
仕事をやめたことで毎日子供と過ごす日々、しかも異国で。
そんな不安の中で、紹介されて出会った友人の存在は大きかったと隈本さんは語る。
「子どもたちも一緒にいろいろな場所へ連れて行ってくれた。彼女がいたことが生活を立て直すための大きな支えになった」
当時の大変な中で友人との楽しかった日々を隈本さんは笑顔で語る。
とはいえ、子どもと過ごす時間は慌ただしく、自分のために何かを考える余裕はなかったという。親子ともに早く中国語を話せるようになりたいという気持ちもあり、すぐに中国語教室を探し始めた。
そして8月中旬、学校が始まる2~3日前になって、隈本さんは急に焦燥感に襲われる。
「子どもたちが学校へ行き始めたら、私はどう過ごすんだろう?そう思って、ネットで
”駐妻 中国 習い事” と検索しながら、自分が中国で何をするのかを手探りで探してみた。
期間は3年半と聞いていたから、ただ暮らすだけではなく、”何かを見つけたい、何かを得て帰りたい” という気持ちが強かった」
当時の焦った気持ちを語ってくれた。
現地での生活を考えた隈本さんには一つの思いがあった。
「日本人コミュニティの中で安心したい」ではなく
「中国の人たちの中で何かを始めたい」 という思いのほうが強かったという。
「言葉がわからない状態で飛び込んだほうが、むしろ距離が近くなる。そこが自分の強みかもしれない」
隈本さんの心のしなやかな強さが伝わってくる。
「何かを見つけたい、何かを得て帰りたい、でも日本人が多い場所で安心して始めたいわけではない、できれば中国の人たちの中に入っていきたい、言葉はわからなくても、飛び込んだほうが早く馴染める気がしたし、体を動かすことのほうが自分に向いている気がした」
そんな中ふと思い浮かんだのが太極拳だったという。
「やったこともないし、特別興味があったわけでもない。でも、中国で何かを始めるなら…太極拳っていいんじゃないかな、と。」
次回予告
彼女の目に留まったのは、公園で行われていた太極拳。
地元の方が真剣に取り組む姿に惹かれて、翻訳アプリを手に話しかけた隈本さん。
そこから新たな挑戦が始まった。
次回の記事では隈本さんが実際に太極拳を始めてからのストーリーを投稿します。
*写真は実際に太極拳を披露する隈本さん

ぜひお楽しみに!
