Hi there! Welcome to my blog. こんにちは、Sachikoです。 英語を「話せるスキル」で終わらせず、どうキャリアにつなげ、どう人生に活かしていくのか。このブログでは、英語を軸に自分らしい道を切り拓いてきた方々の、等身大の経験と選択をお届けしています。 今回ご紹介するのは、AOMビザコンサルティング代表の足利弥生(弥生さん)さんです。 幼少期をアメリカで過ごし、音楽大学でピアノを学んだ後、IT企業、オーストラリア大使館、外資系金融機関を経て起業という、ユニークなキャリアを歩んでこられました。現在はオーストラリアを中心としたビザコンサルティングを手がけ、多くの方の海外挑戦をサポートされています。 一見すると異なる分野を渡り歩いてきたように見える弥生さんですが、そのキャリアの背景には「海外への憧れ」と「人とのご縁」そして「音楽」という一貫したテーマがありました。今回は、これまでの歩みや海外移住に対する思い、そしてこれからの時代を生きる若い世代へのメッセージを伺いました。 海外への憧れは幼い頃から 弥生さんは4歳頃までアメリカで過ごした帰国子女です。記憶自体はあまり残っていないそうですが、英語教育に熱心だったお父様の影響は大きかったといいます。 また、お母様が音楽大学出身だったことから、自身も自然と音楽の道へ。幼い頃からピアノに親しんできました。 ピアノと英語を両立しながら「いつか海外へ行きたい」という思いを育んでいったそうです。 そして26歳のとき、その夢を実現するためにニュージーランドへワーキングホリデーに出発します。 当初は、就労が可能な国という条件でオーストラリアを考えていたのですが、ビザの発給上限に達してしまって申請できず、急遽ニュージーランドに行くことになったそうです。 当時は今ほどインターネットが普及しておらず、海外で働く方法としてワーキングホリデーが最も現実的な選択肢でした。 帰国後のキャリアも見据えて旅行主任者資格を取得し、現地ではホスピタリティ業界で活躍。ピアノ演奏ができる観光ガイドとして人気を集めたこともあったそうです。 音楽から移民政策の世界へ ニュージーランドから帰国後、弥生さんのキャリアは思いがけない方向へ進みます。 オーストラリア大使館のイミグレーション部門で働くことになったのです。 当時は電子渡航認証(ETA)の導入期で、大使館は多忙を極めていました。そこに帰国のタイミングが重なったそうです。 ビザ審査官として多様な国籍や背景を持つ人々と向き合う中で、日本がいかに平和で恵まれた国であるかを実感すると同時に、オーストラリアの移民政策と日本の人口問題について深く考えるようになったそうです。 その関心は学び直しにもつながります。大使館の図書館で出会った移民政策の専門書がきっかけとなり、働きながら慶應義塾大学法学部で学位を取得されました。 グローバル企業を経て起業へ その後、弥生さんは大使館からリーマンブラザーズ証券会社へ転職します。 グローバル企業の人事部門で経験を積む中で、ビザに関する専門知識が大いに活かされました。さらにEU系投資銀行でもHR(人事)業務に携わり、国際的なビジネス環境を学び続けます。 興味深かったのは、新たな転職や挑戦の多くが「人とのつながり」から生まれていたことです。 思いがけない破綻により、後に起業を決意したのも、大使館時代の元同僚からの提案がきっかけだったといいます。 「自分一人では思いつかなかったと思います」 そう語る弥生さんの言葉からは、人との出会いを大切にする姿勢が伝わってきました。 海外移住から見える日本の未来 15年以上ビザコンサルティングに携わる中で、弥生さんは日本の将来に強い問題意識を持つようになりました。特に、高度なスキルを持つ人材が海外へ活躍の場を求める傾向や、リモートワークの普及によって富裕層や専門職、起業家などの海外移住のハードルが下がっていることを懸念しています。 一方で、若い世代の海外志向は以前ほど高くないと感じており、「海外を知らなければ成長の機会を逃し、将来のイノベーションも生まれにくくなる」と指摘します。 また、人口減少が進む日本では、長期的な視点に立った人口政策が不可欠だと考えています。既存のビザ制度を戦略的に活用し、人材獲得や地域活性化につなげる仕組みづくりが必要だと訴えます。 著書『海外移住は人生や社会にイノベーションを起こす』では、日本人の海外移住の現状、日本の人口政策、そしてオーストラリアの可能性という3つのテーマを発信しています。 海外経験は個人のキャリアの幅を広げるだけでなく、新たな視点や価値観をもたらし、社会やビジネスのイノベーションにつながる――。そんな弥生さんの強い信念が伝わってきました。 女性だからこそ広がる可能性 女性のキャリアについて、弥生さんは「女性のほうが好奇心旺盛な方が多いように感じます」と語ります。海外経験は、自身のキャリアや生き方を前向きに見つめ直すきっかけになることも少なくありません。 日本では出産や育児との両立など、女性が直面する課題も依然としてあります。だからこそ、「もっと世界に出て、多様な経験を積んでほしい」と弥生さんはエールを送ります。大切なのは、自ら行動し、人とのつながりを広げること。そして目標と時間軸を持ちながら、一歩ずつ前に進むことだといいます。 また、女性同士だけのコミュニティにとどまらず、幅広い世代や多国籍の人々との交流を通じて、本当に関心のあることを見つけることで、自分らしいキャリアの方向性が見えてくると話してくれました。 最後に 弥生さんのお話を伺っていて印象的だったのは、「ご縁」という言葉が何度も出てきたことでした。 音楽、海外経験、学び直し、転職、そして起業。一つひとつの出会いを大切にしながら、自らも準備と努力を重ねてきたからこそ、現在のキャリアにつながっているのだと思います。 「マニュアルはない。自ら行動し、ネットワークを築くことが大切。」 その言葉は、海外に挑戦したい人だけでなく、これから新しい一歩を踏み出そうとしている私たち全員へのエールにも聞こえました。 弥生さん、貴重なお話をありがとうございました。 弥生さんの著書についてのご案内は下記のリンクをチェックしてください。 「海外移住は人生や社会にイノベーションを起こす」~日本を超えて描く自由な未来~ 書籍 出版のご案内 | オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・ドバイ・イタリアビザ AOM… Continue reading 音楽とご縁が導いた国境を越えるキャリア:AOMビザコンサルティング代表足利弥生さん
Category: キャリアブレイク
薄井シンシアさんの著書『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』がフリーランスの私にヒントをくれた
私は1歳の娘を育てながら、大分で暮らしています。 リモートでできる仕事を中心に、企業や個人の方から業務委託をいただいています。 数年前まで東京で会社員をしていたのですが、結婚・妊娠・地方移住をきっかけに、フリーランスという働き方を選びました。 今日は、そんな私のこれからにヒントをくれた一冊の本の話を書きたいと思います。 《目次》 自分の選択が「中途半端」に感じていた 私の周りの友人たちを見渡すと、みんなそれぞれの場所で自分の道を歩んでいます。 東京や福岡で会社員として働いている方も多いし、子育てに集中したく専業主婦を選んだ方もいる。 そんな中で、地方でフリーランスをしている私は、自分の立ち位置や肩書がふわっとしていると感じることがよくあります。 そんなとき、 「そうだ、シンシアさんの本を読もう」 と家にあったシンシアさんの本を改めて読み返すことにしました。 もう一度ちゃんと開いて、自分が今感じていることを整理してみたい。 この本の中では、専業主婦が再就職するにあたって何をしておくべきか、ご自身の経験から8つのポイントが書かれています。 私は専業主婦ではないけれど、今の自分の働き方や暮らしに重ねながら読むと、たくさんのヒントがありました。 特に心に留めた、3つのこと シンシアさんが書かれている8つのことはどれも大事な視点なのですが、その中でも私が特に心に留めたのは、次の3つでした。 ① 「専業主婦」を長い人生のなかの「キャリア」と位置づける シンシアさんは、専業主婦としての期間を「キャリアの中断」ではなく、長い人生のなかのひとつの「キャリア」として位置づけていました。 これを読んで、今の自分の働き方にもそのまま重なると思いました。 私は、「完全にキャリアを中断している」とは思っていませんが、「会社員を辞めている」という点では、遅れをとっている気がしていました。 でも私はこの働き方を、自分で選びました。 この期間も、私の人生のストーリーのなかで大事な時間になるはず。 そう信じて、あとから振り返ったときに「あの時こうしておけばよかった」と後悔しないように、未来のために小さな積み重ねをしておきたい。 シンシアさんの言葉を読んで、その気持ちを改めて確かめることができました。 ② PTA、地域ボランティアに参加する シンシアさんは、専業主婦の期間に地域のPTAやボランティアに積極的に関わることを勧めています。 これも、地方に移住してきた私には、すごく腑に落ちる話でした。 つい先日、近所にある奈多八幡宮の松林の清掃活動に参加してきました。 アメリカのインターナショナルスクールの生徒さんたちが来てくれて、地元の方と一緒に松林の枯葉を掃除する取り組みです。 こういう場で出会う方々とのつながりは、会社の名前でつながっているわけではないんですよね。人と人が繋がる場所です。 そこにある関係には、会社員時代に感じたものとはまた違う、心強さと豊かさがあると感じます。 また、「人とのつながりが人生を変える」ことを最近特に実感しているので、今後も大切にしていきたいことです。 ③ 目標を達成することで、自分で自分を評価し、自信をつける 本のなかでは、自分でゴールを決めて達成する大切さが書かれています。 私の場合は、今の仕事においても、家庭においても、これを改めて心がけていきたい。 私の人生には、これからもいくつかのフェーズがあります。 仕事をしながら1歳の娘と過ごす今のフェーズ、娘が小学校に通うフェーズ、娘が自立しだんだんと手離れしていくフェーズ。 それぞれの場面で、無理のない範囲で小さく積み上げていく。ときには苦手なことに挑戦しながら。 その積み重ねが、5年後、10年後に振り返ったときに後悔のないものでありたい。そしてその先で、私がしたいこと(自分の会社のことかもしれないし、会社員に戻りたいというものかもしれない)にちゃんとつながるように、今の歩みを大事にしたいと思っています。 私に足りなかったのは「規則正しい生活」 シンシアさんはこの本のなかで、「時間に忠実に、規則正しく生活する」ことの大切さも繰り返し触れています。 正直なところ、今の私には本当に耳が痛いところです。 1歳の娘との毎日は、娘次第。 何時に起きるか、いつぐずるか、いつ寝てくれるか… 思い描いたスケジュール通りに動けないのは、娘が全部悪いわけではなく、自分が自分に甘いところもあるのだとも思っています。 「シンシアさんが書かれているような規則正しい生活は全然できていない」と改めて反省しました。 でも本を読んでいると気づくのです。 「シンシアさんは娘さんが小学校に通っているときのことを言っているかも」 完璧な規則正しさは、娘がもっと大きくなったらやればいい。 今は、できる範囲で仕事を受ける、地域や家族のために動く。それで十分かも。 これは、本を読んで私が勝手に解釈したことです。… Continue reading 薄井シンシアさんの著書『専業主婦が就職するまでにやっておくべき8つのこと』がフリーランスの私にヒントをくれた
何歳でも英語で人生を変えられる:英語コーチきなこさん
Hi there! Welcome to my blog. こんにちは、Sachikoです。 英語を「話せるスキル」で終わらせず、いかにしてキャリアへとつなげていくのか。このブログでは、英語を軸にキャリアを切り拓いてきたSachikoが、第一線で活躍する“英語の達人”たちに、そのリアルな秘訣を伺っています。 今回のゲストは、Xフォロワー5.9万人を誇る英語コーチ、「きなこ」さんこと伊藤さなえさん。 きなこさんは、名古屋大学の後輩で私と同じく公務員経験をお持ちです。様々な経験を経て、現在は起業を果たされ、学研より『ひとめでわかる!英語ビジュアルマップ』を上梓されるなど、英語学習の分野で注目を集める存在です。 しかし、現在に至るまでの道のりは、決して華やかな成功物語ではありませんでした。思うように進まない現実の中で、数々の選択と葛藤を重ねながら、「自分は何者で、何をやりたいのか」を問い続けてきました。 迷いや挫折を経験したからこそ見えてきた、“今の自分”へとたどり着くまでの道のりとは。 素直さと人とのご縁を何より大切にしながら、一歩一歩前へと進んできたきなこさん。その軌跡と胸の内を、じっくりと伺いました。 学生時代から芽生えていた、言語学への興味 ――英語学習はいつ頃から始められたのでしょうか? 近所に英会話スクールがあって、子どもの頃から通っていました。当時は英語の名前をつけられるのが少し恥ずかしくて、「Susie」と呼ばれることに違和感を覚えていましたね。「私はSusieじゃないのに」って(笑)。それでも、自然と英語に触れられる環境が身近にあったのは大きかったと思います。 ――名古屋大学では言語学を専攻されていますが、学生の頃から英語は得意だったのですか? 実は、英語でのコミュニケーション自体はあまり得意ではありませんでした。ただ、中学・高校の頃に文法や構文を読み解くことが本当に面白くて。難しい文章を一つひとつ分析して理解していくプロセスに、気づけば夢中になっていました。その延長線上に、言語学という専攻があったんです。 その後、日本大学の通信制課程で教員免許を取得し、日本語教師の資格も取りました。日本語教師養成の過程で初めて第二言語習得理論を体系的に学んだのですが、これは今の英語指導にダイレクトに生きています。言語学で学んだ知識も、たとえば時制(出来事の時間的な位置)とアスペクト(出来事の状態・進み方)の違いなど、学習者がつまずきやすいポイントを見極めるうえで大きな助けになっていますね。 公務員という「安定」から、一歩踏み出す決断 ――大学卒業後は国家公務員になられたそうですね。 はい。大学に通いながら、予備校で公務員試験の勉強をしていました。当時はまだ国立大学職員が国家公務員だったんです。今は独立行政法人に変わっていますけど。名古屋大学に就職して、いわゆる安定した道を歩み始めました。 ――そこから、その安定を手放す決断をされたのですよね。 そうなんです。最初の配属先で、英語を使う機会が多かったのですが、それがすごく楽しくて。コミュニケーションの面白さに初めて気づきました。そこから英会話教室にも通い始めて、「英語を突き詰めて仕事にできたら楽しそうだな」と思うようになったんです。 ただ、公務員だと3〜4年ごとに異動があるため、せっかく磨いた英語力を、次の配属先で生かせるかどうかは分からない。「もっと英語を深く学びたい」「これを仕事にしたい」という思いが、だんだん強くなり留学したいという気持ちにつながりました。 ――カナダ留学を決意したとき、怖さはありませんでしたか? 正直、ものすごく怖かったです。名古屋大学を出て国家公務員になって、周囲からはうらやましがられるようなレールに乗っている状態から脱線するのは勇気がいりました。また、実家が裕福ではなかったので、現実的な不安も大きかったですね。ただ、今だから言えるのは、「決断してよかった」ということです。もちろん、その後は苦労の連続で、途中で自分の決断を呪ったことも何度もありました(笑)。それでも、その経験があったからこそ、今の自分がある。そのすべてが、いまの原動力になっているんじゃないかなと思います。 カナダ留学で得たもの ――カナダ留学で得たものは何ですか? 一番大きかったのは、価値観が大きく変わったことですね。私はこれまで、何かしらの「型」や組織に属して生きるのが得意なタイプだったんです。でもカナダでは、どこにも所属していなくても、きちんと自分を評価してくれて、自然に仲良くなれる人たちがいると知りました。 学歴や職歴、年齢といった肩書きで判断されることがほとんどなくて、「その人自身」を見てくれる。だからこそ、何歳になってもチャレンジしていいんだ、という感覚を持てるようになりました。 帰国直後に待っていた、試練の時間 ――帰国後の就職活動は順調でしたか? それが、帰国したのがちょうどリーマン・ショックの時期だったんです。本当に最悪のタイミングでしたね。TOEICは985点まで伸びていましたし、英語も話せるようになっていたので、「就職は何とかなるだろう」と思っていたのですが、そもそも求人がほとんどなくて。 公務員の経歴は民間ではあまり評価されないと分かっていたので、派遣から始めようと考えていました。でも、それもなかなかうまくいかず、ようやく決まった外資系企業のお仕事もしばらくして事業縮小でなくなってしまいました。さらにその頃、結婚を考えていた相手との別れも重なってしまって。失業と失恋が同時に来て、軽く引きこもっていました。 ――そこから、どうやって立ち直られたのでしょうか? 正直、その時点では「自信があるのは公務員試験にパスするスキルだけ」でした。だから名古屋市の学校事務職員試験を、年齢制限ギリギリで受けて、何とか滑り込みました。 ただ、いざ安定すると、また「やっぱり英語の仕事がしたい」という気持ちが湧いてきたんです。そのころには、結婚もして、すでに30代になっていました。 ここから何ができるのかを考えて、まずは教員免許を取ってみようと思いました。33〜34歳の頃、日本大学の通信教育課程に入学したんです。教員免許を取るまでには思ったより時間がかかってしまったのですが。 転機を呼び込んだ「ご縁」と「素直さ」 ――英語を軸にキャリアを切り開いていこうと決心された、ターニングポイントはどこにありましたか? 小学校での仕事を通じて、偶然が重なり英語を使う機会が少しずつ増えてきた頃、転職サイトを見るようになったんです。そこで見つけたのが名古屋大学の国際労務担当の研究員のお仕事でした。学位は不要で、学士号があり、TOEIC900点以上の実力があれば応募できるという条件だったんです。 英語力だけでなく専門性も求められる仕事だったので、決して楽ではありませんでしたが、研究員として働く日々はとても充実していました。 研究員の期間中に出産も経験し、産休・育休中に教育実習をこなしてようやく教員免許を取得することができました。 研究員の任期が終わる予定だった時には、「特殊な業務を担当しているから、ぜひ引き続き残ってほしい」と声をかけていただいて。仕事へのやりがいも強く感じていました。 ただ、ここでまた私の悪い癖が出てしまって(笑)。「任期がいつ終わるかわからないこの状況のままでいいのかな」と迷った末に研究員の仕事を離れ、名古屋市立大学の準公務員試験を受けて、再び“安定”の道を選んでしまったんです。 結局、その安定も、最終的には子育てとの両立が難しくなり、夫との関係がうまくいかなくなったことで終わりを迎えました。その後、専業主婦となり、「何か自分でできることはないか」と思い、ブログを書き始めたんです。 ――難しい局面で周囲のアドバイスを上手に生かしていらっしゃいますよね。 私自身、かなり素直なタイプなんだと思います。誰かに「これをやったらうまくいくよ」と勧められて、そこにある程度納得できるロジックが見えたら、まずは試してみるようにしてきました。例えば、あるブログの先生から「文章がうまいから、X(旧Twitter)をやったほうがいいよ。1万人くらいすぐいくと思う」と言われたことがあって。「いやいや、さすがに無理ですよ」と思いながらも、少しおだてられて始めてみたら、本当に半年でフォロワーが1万人を超えたんです。 そうしたアドバイスを信じて動いてみたこと、そして人とのご縁が重なったことで、結果として道が開けていったのだと思います。 英語コーチとしての独立 ――英語コーチになったきっかけは何だったのでしょうか? X(旧Twitter)のDMを通じて、英語コーチング企業からスカウトをいただいたのがきっかけでした。詳しく話を聞いてみると、子どもが寝たあとでも仕事ができて、通勤も不要。日中は確かに仕事が少ないのですが、その時間を使って添削作業ができる。「これはすごく育児と相性がいい働き方だな」と感じたんです。 当時は、専業主婦をしながらXをしていただけでした。育児の合間にSNSを続けつつ、同時に国家資格キャリアコンサルタントの勉強も始めていました。 ――キャリアコンサルタントの資格を取ろうと思われた理由は?… Continue reading 何歳でも英語で人生を変えられる:英語コーチきなこさん
行動が人生を変える‐太極拳を通して学んだ人生の切り開き方【 インタビュー 中国広州滞在 隈本さん Vol.3】
インタビューさせていただいたのは、中国広州在住の隈本祐子さん。第1章では、駐在に行くかもしれないというパートナーの一言から実際に中国駐在が決まるまでの7年間の思いや、実際に中国に渡航してからの生活立ち上げや焦る思いについてお聞きしました。 第2章では、現地の太極拳のコミュニティに参加した経験について、嬉しかったこと、難しかったこと、努力したことについてお聞きしました。 第1章と第2章はこちらから第1章 海外生活への強い思いと”中国”への戸惑い第2章 地元の太極拳グループに飛び込み参加。先生についていく決意。 最終章では、太極拳を通しての隈本さんの心の変化、太極拳への思いについてお聞きしました。 週5〜7日。太極拳中心の生活へ 太極拳は彼女にとって“生活の中心”になった。 週5〜6日、多いときは週7日。毎日のように練習するうちに、太極拳に向き合う姿勢が変わり、家族の見え方も変わっていった。 子どもたちの視点の変化 日本では仕事をしていた母親が、中国への引っ越しを機に突然「仕事をしない生活」になる。最初、子どもたちは戸惑ったと隈本さんは言う。 「ママ、これから何するの?」「ママが仕事しなかったらご飯食べられないよ!」 子どもたちにとって“いつも働く人”だった隈本さん。しかし毎日家で練習する姿を見せるうちに、子どもたちも変わったという。 「”ママは太極拳の人だよね”って。気付いたら、子供たちが自然に受け入れるようになっていた」と隈本さんは笑う。 *お子さんが太極拳を見学に来た日 旦那さんの反応 当初は現地のコミュニティに入ることを心配していた旦那さんも、「一番中国に溶け込んでるのはママだよね。」といつの間にか受け入れるようになっていたという。 「太極拳のイベントに積極的に参加し、平日に開催されたものには子どもを学校を休ませてまで連れていった。いい経験だと思ったから。」 と、当時を思い出して隈本さんは語る。「”ママすごいじゃん”という表情を見せて夫も笑っていた。」 隈本さんが優しい顔で言った。 「がむしゃらにやってきた結果なのかな。」 教える側へ―Expat Circleでの依頼 太極拳を学びはじめて少したった頃、学ぶだけではなく、「教える」立場になる機会が隈本さんに訪れた。 「海外生活者向けのサークル “Expat Circle” で、ヨガや中国茶など自分の得意なことを教える活動をしている人たちがいて、そこから太極拳講師の依頼がきたけど、最初は不安の方が大きかった」 大好きな太極拳を教えるという突然の機会。 当初の不安な気持ちを隈本さんは語る。 「太極拳って、1回で伝えられるものじゃないし、人に教えるってイメージが湧かなかった。」 隈本さんの表情からも簡単な決断ではなかったことがわかる。 「それでも断らずに挑戦してみたけど、やっぱり1回では伝えきれなかった。続けて教えたいとまでは思わなかったけど、これが”自分はもっと極めたい”と感じるきっかけになった」 学ぶ立場から教える立場になってみたことで、太極拳への思いが強まったと隈本さんは語る。 PTA経由で広がった“文化体験”としての太極拳指導 太極拳への思いが強まったタイミングで、さらに予想外の依頼が隈本さんのもとに舞い込んできた。 学校のPTAで知り合った先生が、彼女が太極拳をしていることを知り、声をかけてきたという。 「総合の授業で日中の懸け橋になる内容をやりたい。外部講師はハードルが高いけど、保護者でできる方がいるのなら…。太極拳を教えてもらえませんか?」 突然の依頼、しかも相手は日本人学校に通う子供たち、もちろん隈本さん自身の子どもたちも。 「すごく嬉しかったけど、不安も大きかった。」 当時の気持ちを隈本さんは振り返る。 「子どもに教えるイメージが持てなくて。太極拳を教えた経験、ほとんどないし。」 迷っていたタイミングで、以前一度だけ開催した太極拳講座を、「全8回の講座」としてやってみることを決めたと隈本さんは当時の様子を語る。 参加者5名、24式太極拳。日にちを固定し、本当にやる気のある人に限定して募集した。申し込み1時間以内に予約満席に。隈本さんの新たな挑戦、”太極拳講座”がスタートした。 言語化の難しさ、参加者の熱意 「最初は、自分の動きを言葉にすることがとても難しかった。」 隈本さんは静かに語る。 「“こんな感じで”といっても伝わらない。右手の動きひとつ説明するのも難しい。」 教えることの難しさを隈本さんは振り返る。 「参加してくれた5人はすごく熱心で。毎回動画を撮ったり、家で練習してきてくれた。」熱意をもって学んでくれたことが嬉しかったと、隈本さんは優しい笑顔で語る。 彼女がどれほど太極拳を大切にしてきたか知っている人たちだったからこそ、参加している方も理解と熱意が強かったようだ。 少しずつ変化があったことを隈本さんが教えてくれた。「靴が太極拳の靴に変わって、服装も少しずつ太極拳仕様になってきた。みんなが楽しむ姿が嬉しかった」 嬉しそうな表情から当時の気持ちが伝わってくる。 最後には全員で動画を撮影し、8回の講座は大成功で終わった。 「こんなふうに広がっていくことに驚きと感動があった。」 嬉しかった気持ちを隈本さんが語る。 「太極拳の仲間にも報告したら、”すごい、よくやってるね!”と温かい言葉をかけてくれて。公園の真ん中に受講生5人を連れていった時も、みんなが温かく迎えてくれた。」… Continue reading 行動が人生を変える‐太極拳を通して学んだ人生の切り開き方【 インタビュー 中国広州滞在 隈本さん Vol.3】
「心に響くパフォーマンスを追い求めて」バイリンガルアナウンサー・野口美穂さん
Hi there! Welcome to my blog. こんにちは、Sachiko です。 英語はあなたのキャリアにどんな影響を与えていますか?どうすれば「キャリアの武器になる英語」を身につけられるのでしょうか? 英語を軸にキャリアを紡いできたSachiko が、英語の達人のみなさんにその秘訣を伺います。 今回ご紹介するのは、バイリンガルフリーアナウンサーとして知られる野口美穂さんです。岐阜県に拠点を置きながら、英語を武器にグローバルな舞台で活躍されています。 愛知国際放送(Radio-i)で日英バイリンガルニュースアナウンサーや番組パーソナリティーを務めた後、国際カップルの披露宴や、国際会議、企業のグローバルイベントでのバイリンガルMC、ステージ通訳など、活動の幅を広げてこられました。さらにGoogleマップのカーナビ音声を担当したことでも知られています。 また、全米No.1セレブリティボイスコーチ Roger Love氏の認定ボイスコーチ資格を取得し、近年は「世界で活躍する人のためのバイリンガル英語スピーキング指導」にも力を入れていらっしゃいます。 今回は、キャリアの歩み、英語との出会い、バイリンガルアナウンサーという新たな職域を切り開くまでの道、そして子育てと仕事の両立について、じっくりとお話を伺いました。 バイリンガルアナウンサーという仕事 ――まず、「バイリンガルアナウンサー」とはどのようなお仕事なのでしょうか? 実は、先人の方はいらっしゃるんですけれど、私の場合は“自称”というのが正しいんです(笑)。ラジオでアナウンサーをしていたこともあり、「MC、バイリンガル司会、モデレーター、パブリックスピーカー」など、スピーキングを軸にする職業を分かりやすくするために自分のことを “バイリンガルアナウンサー”と呼んでいます。ただ、英語では“アナウンサー”という言い方はせず、professional speaker, emcee, moderatorと名乗っています。 英語との出会い ―― 高校時代の留学が原点 ――高校時代のアメリカ留学が大きなきっかけだったのでしょうか? AFSの交換留学でメリーランド州の公立高校に通ったんですが、英語の授業についていくのが本当に大変で。 リーディングの課題が20ページとか、高校生にはかなりハードでした。でも振り返ると、人前で話す機会が多かった気もします。 留学前から洋楽が好きで、バイリンガルで話すラジオDJにも憧れていました。 大学での学びが、今の仕事につながった ――大学で専攻されたオーラル・インタープリテーションは、現在のお仕事にどう活かされていますか? オーラル・インタープリテーションは、文学作品やスピーチなどの文章を“声で表現する”学問です。 朗読とは違って、作品の意味や感情、リズムを捉え、声と身体表現を通して伝えるもの。演劇的ですが、台本を必ずしも暗記するというわけではなく、テキストを解釈しながら読み上げるのが特徴です。 この学びが、今のバイリンガルMCの仕事にとても活きていますね。 人生の転機 ―― 流産、ラジオ局閉鎖、そして新たな道 ――秘書、通訳、海外営業などさまざまなキャリアを経て、どのようにMCの道に進まれたのでしょうか? 短大卒業後は岐阜の企業で秘書をしていました。そこで外国からのVIPをアテンドする方がいて、通訳ガイドの資格があると伺ったのがきっかけで、私も挑戦しようと思ったんです。 事務所を辞めて勉強に専念し、英検1級と通訳ガイドの資格を取得しました。 通訳学校にも通ったんですが、日本語でのアウトプットがうまくできなくて、日本語スピーキングを鍛えるためにアナウンス学校へ行ったら、そちらの方が断然おもしろかった(笑)。そこで「あ、通訳は向いてないな」と悟りました。 その後、社内通訳のような仕事に就いたとき、通訳ガイド資格のおかげで時給が少し高くなって、「資格を取っておいてよかった!」と実感。 その仕事の傍ら受けたオーディションで、FM放送レディオアイの日英ニュース読みの仕事を得ました。 ――そこから大きな転機があったそうですね。 はい。妊娠後に流産というつらい出来事を経験したのですが、その後ラジオ局で番組再編成があり、自分の番組を持てるチャンスが来ました。 迷いながらも引き受けて半年ほど担当しましたが、残念ながらラジオ局自体が閉鎖に。 朝番組で体力的にも厳しかったので、長く続けるのは難しかったかもしれません。 MCの仕事が軌道に乗るまで その後は妊活を優先するため、自由に働けるよう自営業に。自分でホームページも作りました。 きっかけは、友人(オーストラリア人と結婚)から頼まれた披露宴MC。フランス語も話せるので、日仏カップルの披露宴MCも経験し、そこから自然と仕事が広がっていきました。 バイリンガルMCの仕事を紹介するキャスティング事務所にも登録し、シャンパンメーカー、フェラーリ、東京国際映画祭など大規模イベントのMCも担当しました。 岐阜在住の自分に依頼が来るのか不安で料金も抑えていたのですが、実績が増えるにつれ適正価格に。 パフォーマンス動画をYouTubeにアップし、それを見た企業から「うちでもお願いします」と依頼が来るようになり、そこから仕事が好循環に入りました。… Continue reading 「心に響くパフォーマンスを追い求めて」バイリンガルアナウンサー・野口美穂さん
3社で凹んで止まる転職活動、もう終わりにしよう
転職や再就職を考え始めたとき、多くの方が、まず求人を探し、いくつか応募します。そして、こんな状態で立ち止まります。 「とりあえず3社くらい応募してみたんですが、全部落ちてしまって、正直凹んでます。やらないといけないと思ってはいるんですが、気が乗らないんです。」 このような言葉を、ご相談の現場で何度も聞いてきました。 落ちると、正直しんどいですよね。否定されたような気がして、「やっぱり私には無理なのかも」と思ってしまう。今日は、そんな方に向けて、少しだけ現実を一緒に見てみる話をします。 転職活動は「3社で判断できるもの」ではない まず、数字の話をします。 マイナビ転職のデータによると、転職活動者の平均応募社数は約8.4社。 思ったより多いと感じませんか?「2〜3社応募して、様子を見る」そんなイメージを持っている方も多いのですが、実際には、8社以上応募している人が多数派です。 さらに年代別に見ると、41歳以降では、10社以上応募している人が多いという結果も出ています。 つまり、年齢が上がるほど1社ずつ慎重に、というより、ある程度の数を前提に動く。そんな転職の仕方に、自然と変わっていくのです。 そこにはやはり、・書類選考の通過率が下がりやすい・企業側の目線がよりシビアになる・経験があっても、年齢で判断されるそのような状況があるわけです。 ですので、3社応募して、全部落ちたという状態は、「もうダメ」ではなく「やっとスタート地点に立った」くらいの位置。 数字で見ると、そう言えるのです。 へこんでいい。でも止まらないでほしい ここは、とても大事なところなので、しっかりとお伝えしたいのですが、凹んでも、落ち込んでもいいですが、立ち止まらないでください。 転職活動は、自信が満タンになってから始めるものではありません。不安なまま、迷いながら、自信が揺らいだ状態で、それでも動き続けた人だけが、次に進めます。 応募社数は「量」。でも、本質はそこではない だからと言って「とにかく数を打て」と言いたいわけではありません。応募社数は、たしかに量です。でも、その裏側で何が起きているかというと、 1社応募するために、・私たちはこれまでの仕事を振り返り・自分の強みの言語化・なぜこの会社で働きたいのかを考える・どんな働き方をしたいのかを問い直す このように、かなりエネルギーを使いますよね。 だから、3社で疲れてしまう人が多いと思っています。それは、本気で向き合っている証拠です。ただ、考えたまま止まってしまうのは、正直もったいない。そう思うんです。 判断軸があると、迷い方が変わる ここで大事になるのが、判断軸です。 ☆私は、働く上で何を大事にしたいのか☆どんなあり方で仕事をしたいのか☆何を守って、何を手放すのか これが言葉になっていると、迷ったときに立ち戻る場所ができます。 落ちた経験は、振り返ることで次につなげる 面接で落ちると、メンタルは削られます。一旦、落ち込んでいいと思います。ただ、そこで終わらせないでほしい。誰かに話す。振り返る。次の作戦を立てる。アクションを起こしてほしいんです。 応募する仕事の方向性や、応募書類でさらに工夫できる点、面接で伝え方を変えられそうなところ等、これを一つずつ整理していくことが、次につながる推進力になります。 地味ですが、これは立派なPDCAです。転職活動は、実はあなたを成長させ、未来を拓く力を付ける、そんな活動でもあるんです。 転職活動で、あなたの価値の全てが決まるわけではない 最後に、これだけはお伝えしたい。 転職活動で、あなたの価値が全て決まるわけではありません転職活動は、応募した会社との相性を確かめる場です。 別な見方をすると、落ちた、その会社はあなたとは合わないんです。応募した会社側が、そう判断した結果とも言えます。なので、合わない場所に行かずに済んだ、という見方もできると思っています。 しっかり準備をして、前に向かって歩んでほしい。そう思っています。 ※キャリアブレイク前後のご相談(離職・転職など)・人間関係など、幅広くご相談を承っております。詳しくはこちらのHPをご参照ください。納得の未来を支えるキャリアコンサルタント・三橋久美子のHP ※キャリアブレイクからの復職や転職をお考えの方は、是非「キャリア・リスタート準備度チェック 〜 私らしく働くための第一歩 〜」を実施してください。ご自分がどのくらい準備が整っているか、知ることができますよ! ※日々の家事や家族サポートを「見えるかたち」にまとめました。「家庭運営マネージャーの職務要約~主婦業のリアルディスクリプション~」・再就職に向けて、これまでの経験を整理したい方・ 面接や履歴書で「主婦業をどう伝えればいいか」悩んでいる方・ 自己理解やキャリアの棚卸しをしたい方そんなあなたに、おすすめの1枚です。 ※毎週土曜日朝6:00~voicyでも皆様にキャリア・終活・お金・女性特有の体調(フェムケア)についてお伝えしています。後からも聞くことができますので、是非お耳をお貸しください。40代から人生を変えるラジオ/ミアビータ・アーカイヴ一覧40代から人生を変えるラジオ/voicyチャンネル
地元の太極拳グループに飛び込み参加。先生についていく決意。【 インタビュー 中国広州滞在 隈本さん Vol.2】
インタビューさせていただいたのは、中国広州在住の隈本祐子さん。第1章では、駐在に行くかもしれないというパートナーの一言から実際に中国駐在が決まるまでの7年間の思いや、実際に中国に渡航してからの生活立ち上げや焦る思いについてお聞きしました。第1章はこちらから 第1章 海外生活への強い思いと”中国”への戸惑い 運命の出会い珠江公園の“30分”がすべてを変えた 「まずは中国語の先生に、太極拳を習えるところを知らないかと相談したら、日本語が少しできる人がいる教室の連絡先をつないでくれた。ちょうど子どもが翌日から学校だから、”とりあえず見学してみよう”と思っていた。」 当時を振り返って隈本さんは語る。 しかしその日、ふと立ち寄った近所の公園が隈本さんの人生を変える。隈本さんは そこで太極拳をしているグループを見つけた。 「30分間、ずっと目が離せなかった。 動きはまるで仙人のように静かで、流れるようで、瞑想のようだった。年齢の高い方々がずっと同じ動きを覚えている姿が、とてつもなく美しく見えた。」 求めていたものと出会った瞬間の心がひかれた様子を隈本さんは語る。 「これだ。」 気づけば、その場で太極拳の先生らしき人にスマホの翻訳アプリを使って話しかけていたという。 「これは太極拳ですか?あなたは先生ですか?私もやれますか?」 隈本さんの質問に、先生はニコニコしながら 「いいよ、いいよ!」 と言い、すぐにWechatを交換してくれた。 “外国人は初めて” そんな環境での丁寧なメッセージの数々 「外国人が来るのが初めてだったみたい。でも、すごく歓迎してくれた。」 隈本さんは笑顔で当時の様子を振り返る。中国語ができないことを気にする隈本さんに対して先生は随時優しく接してくれたという。 「今回のインタビューをきっかけに過去のやり取りを振り返ったら、すごい丁寧にメッセージしてくれていたことを思い出した」 太極拳を始めたばかりの頃のやり取りを見返すと、先生からのメッセージで溢れていたという。 「すごく丁寧に、小さなことも気にかけてくれてたんだって気づくことができた」先生のことを話すときの隈本さんは表情がやわらかくなる。 “言葉が通じない”現実と、仲間になるために選んだ方法 太極拳のグループは約30人。先生はWelcomeな雰囲気だったが、他の人たちも最初は、興味津々で話しかけてくるものの会話が成立しなかったという。 「話しかけてくれる、でも伝わらない、コミュニケーションがとれないとそのうちに面倒くさくなって離れていく。そんな空気も感じていた」当時の様子を隈本さんは振り返る。 ときには、自分の方を向きながら何かを言われていると、 「悪いことを言われているのかも…」 と不安になることさえあったという。 だが、隈本さんはその状況に不満を感じるのでもなく、あきらめるのでもない。 「ここで仲間になるには中国語じゃなくて“太極拳の上達”だと思った」隈本さんの言葉から強い思いが伝わる。 「太極拳は動きで会話ができる世界。 だからこそ、毎日必ず通う、先生の動きを動画で撮る、家で復習して翌日にはできるようにする、これをしっかりやるようにしていた」 言葉ができないことを理由にやめることだってできるはずだが、そんな選択肢は隈本さんの中にはなかった。 努力の甲斐があって、周りのメンバーにも変化が生まれ始める。少しずつメンバーとの関係性がかわっていった。 「”2年前はほんとにできなかったのにね”と今は笑い合えるようになった」 笑顔で語る隈本さんからは、努力を重ねて乗り越えた芯の強さが伝わってくる。 *太極拳のメンバーと一緒に 日中関係の緊張の中で。“私がいて大丈夫?”と揺れる気持ち 太極拳に入ったのは、2023年の8月ころ。ちょうど日本の 処理水問題が中国で話題になっていた時期だった。 「日本への否定的な報道、領事館からの注意喚起メール、家族からの心配の連絡…。グループチャットにも、中国側の日本批判動画が流れてきた」 当時の状況を振りかえりながら隈本さんは語る。 「人生で初めて、自分が”日本人だから”という理由で居心地の悪さを感じた瞬間だった。私がいることで、みんなが嫌な思いをしていないかな… ここに来てもいいのかな…」 悩んだ隈本さんは、先生に正直に連絡した。「国と国の関係は揺れている。ここで出会った人たちを傷つけたくなかった。」 当時の悩んでいた思いを隈本さんがゆっくりと語る。 「今の状況で、私がいることで誰か嫌な気持ちになっていませんか? 私はここにいてもいいですか?」 不安な気持ちを正直に先生にメッセージしたと隈本さんは当時を振り返る。センシティブな話題も正直に相談することができたのは、先生との信頼関係ができていたからだろう。 「国と国はいろんな問題があるけど、個人と個人には関係ない。 日本人だからじゃなくて、あなたを迎え入れている。 何か言われたら私に言いなさい。私が守るから。」 先生からのまっすぐな言葉に、隈本さんは心から安心したという。 「周りが何か言っても、この先生についていこうと思った」 口調からも当時の強い決意が伝わってくる。 *先生と隈本さん… Continue reading 地元の太極拳グループに飛び込み参加。先生についていく決意。【 インタビュー 中国広州滞在 隈本さん Vol.2】
海外生活への強い思いと”中国”への戸惑い 【 インタビュー 中国広州滞在 隈本さん Vol.1】
今回のインタビューは、「いつか海外で暮らしたい」という思いを胸に抱いていた隈本祐子さんを取材。第1章、第2章、第3章の3回にわけて、隈本さんの経験をお届けします。 2026年1月現在も、中国にて駐在同行生活を過ごしている隈本さん。初めての中国での生活、太極拳との出会い、そして自分自身の内面の変化についてじっくり語っていただきました。 学生時代に芽生えた海外への憧れ、旦那さんの海外赴任の知らせを待ち続けた日々。実際に中国行きが決まった瞬間の戸惑いと期待、そして到着してからの慌ただしい日々。さらに、太極拳の世界に飛び込んだことで見えてきた中国の人たちの温かさや文化、そこから起こった自分自身の変化——。 中国での挑戦の全容をごらんください。 海外への思いと、7年前の“最初のサイン” 隈本さんが”海外に行くかもしれない”という未来を初めて意識したのは、お子さんが2歳の頃だったという。今から7年前のことだ。 当時、旦那さんの会社で”海外に行きたいか”を問うアンケートがあり、旦那さんはYESを選択。「もともと海外に行きたいという思いがあったから、いつでも行く!という気持ちでいた」と隈本さんは当時を振り返ります。 しかしそこから実際に辞令が出るまで5年。 「”いつか行く”と思いながらも、日々の生活は続く。行くかもしれない、でもいつかはわからない。その宙ぶらりんな期間が長くて、習い事を始めても”すぐ辞めるかも”、洗濯機を買い替えるにも”あと何年使うかわからない”と買うことを迷う。そんな生活が続いて、”早く決まってほしい!”という気持ちがどんどん強くなってきた」 なかなか決まらない海外駐在に生活の軸が定まらないことがあったことも教えてくれた。 一方で、新しいことに動き出せたタイミングだったとも隈本さんは語る。 「海外に行くなら仕事は辞めることになるだろうと思っていたから、渡航からの帰国後を見据えて資格を取ったり、働き方を子どもに合わせて変えたり、会社勤めのままでは踏み出せなかったことにも自然と挑戦するようになった」 もやもやする気持ちで立ち止まらず、行動にうつせるのは隈本さんの強みだと思う。 「子供たちには小さい頃から”いつかどこかに行くかもよ”と言い聞かせてきた。世界地図を見ながら”ブラジルかな?”と想像してみたり」 未来の形を親子で一緒に描くことで家族での移住への準備を進めていた隈本さん。 ついに2023年7月、1年生が終わるタイミングで正式な内示。旦那さんは先に3か月前に出発。隈本さんと子どもたちは後から合流する形になった。 “中国”という響きへの戸惑いと、海外への強い思い 行き先が「中国」と聞いたときの気持ちはどうだったのか尋ねると、隈本さんははっきりこう言った。 「国としてどこでもよかった。でも中国と聞いた瞬間、日本の報道のイメージが強くて”え、中国?一番行きたくないかも”と思った。」 ニュースで見聞きする中国の印象は決して良いものばかりではない。知識も経験もない国への不安は当然大きかった。 「それでも、心の奥では”日本にずっといるよりも外に出たい”という思いだった。」 当時を振り返って隈本さんは語る。 大学時代に初めての海外旅行をして世界の広さに夢中になった隈本さん。20歳の頃には頻繁に海外へ出るようになっていたという。とくにタイが大好きで、転職のタイミングで1か月滞在して語学学校に通い、覚えた言葉をすぐ使って喜んでもらえる感覚がとても楽しかったという。 「カナダ人のおじさんとフェリーで偶然知り合い、Hotmailを交換し、その出会いがきっかけで英会話教室に通い出したこともあった。文法が嫌いで英語学習は得意じゃなかったけど、言葉の壁が少しずつなくなっていく感覚は励みになった」 出会ったばかりの人とでもすぐに仲良くなれるのは隈本さんの昔からの強みのようだ。 そんな隈本さんの生活も子どもが生まれてからは変化があった。 「独身の頃みたいに危険な場所に行ったりはできないと思ったし、自分の判断だけで動けないと思った。子連れでの旅行は、海外に行ったとしても自分が楽しめない」 子連れではなかなか行きにくいような旅行先が好きだった隈本さんは、子供を連れての海外旅行は難しいと感じていた。 だからこそ、旅行としてではなく“生活として海外に住む”という発想のほうがしっくりきたのだという。今回の海外赴任の話が出た瞬間に迷いなく”行きたい”と思えたのもそんな背景があったからこそ。 中国到着直後の1か月——生活の立ち上げと、終わりの見えない奔走 2023年7月。隈本さんと子どもたちはついに中国に到着した。 「到着後の最初の1か月は子どもたちの夏休み期間と重なり、「とにかく生活しなければ!」という緊張感の中で始まった。」当時を思い出して隈本さんは笑顔で話す。 ・どこで食材を買えばいいのか・買い物アプリすら登録していない・先に届けていた段ボールは旦那さんに開封されることはなくほぼそのまま・歯ブラシも箱に入ったまま 生活の基本が整っていない状態でのスタートだったという。 「仕事を長く続けてきたから、子どもと1か月丸々夏休みを過ごした経験は初めてで、それもまた不安材料だった」 仕事をやめたことで毎日子供と過ごす日々、しかも異国で。そんな不安の中で、紹介されて出会った友人の存在は大きかったと隈本さんは語る。 「子どもたちも一緒にいろいろな場所へ連れて行ってくれた。彼女がいたことが生活を立て直すための大きな支えになった」 当時の大変な中で友人との楽しかった日々を隈本さんは笑顔で語る。 とはいえ、子どもと過ごす時間は慌ただしく、自分のために何かを考える余裕はなかったという。親子ともに早く中国語を話せるようになりたいという気持ちもあり、すぐに中国語教室を探し始めた。 そして8月中旬、学校が始まる2~3日前になって、隈本さんは急に焦燥感に襲われる。 「子どもたちが学校へ行き始めたら、私はどう過ごすんだろう?そう思って、ネットで ”駐妻 中国 習い事” と検索しながら、自分が中国で何をするのかを手探りで探してみた。 期間は3年半と聞いていたから、ただ暮らすだけではなく、”何かを見つけたい、何かを得て帰りたい” という気持ちが強かった」 当時の焦った気持ちを語ってくれた。 現地での生活を考えた隈本さんには一つの思いがあった。 「日本人コミュニティの中で安心したい」ではなく「中国の人たちの中で何かを始めたい」 という思いのほうが強かったという。 「言葉がわからない状態で飛び込んだほうが、むしろ距離が近くなる。そこが自分の強みかもしれない」 隈本さんの心のしなやかな強さが伝わってくる。 「何かを見つけたい、何かを得て帰りたい、でも日本人が多い場所で安心して始めたいわけではない、できれば中国の人たちの中に入っていきたい、言葉はわからなくても、飛び込んだほうが早く馴染める気がしたし、体を動かすことのほうが自分に向いている気がした」 そんな中ふと思い浮かんだのが太極拳だったという。 「やったこともないし、特別興味があったわけでもない。でも、中国で何かを始めるなら…太極拳っていいんじゃないかな、と。」 次回予告 彼女の目に留まったのは、公園で行われていた太極拳。… Continue reading 海外生活への強い思いと”中国”への戸惑い 【 インタビュー 中国広州滞在 隈本さん Vol.1】
2026年、再就職を考えるなら「仕事を具体で見る」
1日は、「自分の人生を大切に扱う人が増えてほしい」という話を書きました。 2日は、「私の経験を、強みとして言葉にしていく」という視点をお伝えしました。 三が日の最後は、再就職を考えるうえで欠かせない「仕事理解」についてお伝えしたいと思います。 再就職でつまずきやすい理由は、「仕事が見えていない」こと 再就職を考え始めると、多くの方がまず求人票を見ます。 けれど、面談の現場では、こんなお声をよく耳にします。 「どんな仕事なのか、正直よく分からないまま応募していました」 これは、ご本人の努力不足ではありません。仕事を“職種名”でしか見ていないことが原因です。 また、仕事を役割の集合体として捉えることが大切だと考えています。 その視点を形にしたのが、以前ブログで公開した「家庭運営マネージャーの職務要約― 主婦業のリアルディスクリプション ―」です。 (参考)主婦業にも“職務経歴書”を。家庭運営を「見える化」するジョブディスクリプション このページでは、家庭という場を一つの組織と見立て、 といった役割を、「業務」として分解しています。 ここでお伝えしたかったのは、「主婦業はすごい」ということだけではありません。 仕事とは、そもそもこうやって成り立っているという視点です。 仕事を具体で見ると、選択肢は広がる 仕事を役割で捉えられるようになると、再就職の見え方が変わります。 たとえば、 「未経験だから無理」と思っていた仕事も、 を見ていくと、 「この部分なら、経験があるかもしれない」 と感じられることがあります。 これは、自分を過大評価しているわけでも、無理に当てはめているわけでもありません。 仕事を具体で理解した結果です。 自己理解と仕事理解は、セットで考える 再就職には、自己理解と仕事理解の両方が欠かせません。 このすり合わせができると、再就職は「運任せ」ではなくなります。 そのために、ジョブディスクリプションという考え方はとても有効です。 2026年は、「知るところから」始めてもいい 2026年、いきなり応募しなくても大丈夫です。 まずは、 ここから始めるだけでも、再就職への不安は、少しずつ形を変えていきます。 この3日間でお伝えしてきたのは、 今年もここで、キャリアの話を書いていきます。 2026年が、ご自分の経験と、世の中の仕事を丁寧につなぎ直す一年になりますように。 ※キャリアブレイク前後のご相談(離職・転職など)・人間関係など、幅広くご相談を承っております。詳しくはこちらのHPをご参照ください。納得の未来を支えるキャリアコンサルタント・三橋久美子のHP ※キャリアブレイクからの復職や転職をお考えの方は、是非「キャリア・リスタート準備度チェック 〜 私らしく働くための第一歩 〜」を実施してください。ご自分がどのくらい準備が整っているか、知ることができますよ! ※日々の家事や家族サポートを「見えるかたち」にまとめました。「家庭運営マネージャーの職務要約~主婦業のリアルディスクリプション~」・再就職に向けて、これまでの経験を整理したい方・ 面接や履歴書で「主婦業をどう伝えればいいか」悩んでいる方・ 自己理解やキャリアの棚卸しをしたい方そんなあなたに、おすすめの1枚です。 ※毎週土曜日朝6:00~voicyでも皆様にキャリア・終活・お金・女性特有の体調(フェムケア)についてお伝えしています。後からも聞くことができますので、是非お耳をお貸しください。40代から人生を変えるラジオ/ミアビータ・アーカイヴ一覧40代から人生を変えるラジオ/voicyチャンネル
2026年、私の経験を“強み”として言葉にしていく
昨日は『自分のキャリアを大切に扱う人が増えてほしい』そんなお話しをしました。 今日はその続きとして、「これまでの経験を、どう扱えばいいのか」について考えてみたいと思います。 経験は勝手に強みにはならない 子育て、介護、家庭の事情。仕事から少し距離を置いた時間を過ごしてきた方の多くが、こんなふうにおっしゃいます。 「経験はあるけれど、強みと言えるほどのものではない気がします」 この感覚はとても自然です。 なぜなら、経験は ただ積み重ねただけでは、強みとして認識されにくいからです。 強みは、「何をしたか」より「どう向き合ってきたか」 強みというと、資格や実績、スキルのような分かりやすいものを思い浮かべがちです。 でも、私が再就職や転職の現場で見てきたのは、強みの正体は、行動の中身というよりも“姿勢”に近いということです。 たとえば、 こうした積み重ねは、外からは見えにくいけれど、確実にその人の中に残っています。 経験を強みに変える第一歩は「切り取る」こと いきなり「私の強みは〇〇です」と言葉にしなくて大丈夫です。 まずは、こんな問いをご自分にしてみてください。例えば次のようなことです。 ここには、その人らしい考え方や行動の癖が表れています。 経験を“全部まとめて”評価しようとしなくていい。まずは一部分を切り取るだけで、十分なのです。 言葉にできた経験は、次の選択を支えてくれる 経験を言葉にするというのは、誰かに説明するためだけのものではありません。 自分自身が、 を理解するための作業でもあります。 これができると、「何が向いているか分からない」状態から、少しずつ抜け出せるようになります。 強みは、自信満々に語れるものである必要はありません。 むしろ、 の中に、その人ならではの価値が隠れています。 2026年は、これまでの経験を価値として丁寧に拾い直す年にしてみませんか。 ※キャリアブレイク前後のご相談(離職・転職など)・人間関係など、幅広くご相談を承っております。詳しくはこちらのHPをご参照ください。納得の未来を支えるキャリアコンサルタント・三橋久美子のHP ※キャリアブレイクからの復職や転職をお考えの方は、是非「キャリア・リスタート準備度チェック 〜 私らしく働くための第一歩 〜」を実施してください。ご自分がどのくらい準備が整っているか、知ることができますよ! ※日々の家事や家族サポートを「見えるかたち」にまとめました。「家庭運営マネージャーの職務要約~主婦業のリアルディスクリプション~」・再就職に向けて、これまでの経験を整理したい方・ 面接や履歴書で「主婦業をどう伝えればいいか」悩んでいる方・ 自己理解やキャリアの棚卸しをしたい方そんなあなたに、おすすめの1枚です。 ※毎週土曜日朝6:00~voicyでも皆様にキャリア・終活・お金・女性特有の体調(フェムケア)についてお伝えしています。後からも聞くことができますので、是非お耳をお貸しください。40代から人生を変えるラジオ/ミアビータ・アーカイヴ一覧40代から人生を変えるラジオ/voicyチャンネル
