【キャリアブレイクはキャリアエンドではない。人生は、もっと、自分で決めていい】
キャリアブレイクからの復職、その後のキャリアに関するインタビュー。
第1回ゲストは、【薄井シンシアさん】です。(以下、シンシア)
—大学卒業後、貿易会社に就職。その後、夫の転勤で海外へ。日本に帰国後は、広告代理店で秘書業務に就く。その後、欧州広告会社での営業職を経て、娘を出産。そこから17年間は専業主婦として子育てに専念した。
■ 出産前から専業主婦になると決めていたのですか?
シンシア:出産前には保育園を探していたのよ。仕事が好きで、産後は復職を想定していた。でも娘を見て2つの思いから専業主婦になると決めたの。➀とにかく楽しくてこの子と一緒にいたい、➁大切な我が子を他人に預けて、万が一事故があった時、一生自分を許せないだろう。
■ 仕事を辞めることに迷いはなかったのですか。
シンシア:仕事も好き娘も好き、どちらかを選ぶのに迷いもあったけれど、情報収集力と決断力で論理的に答えを出して前に進む…それだけだった。
専業主婦になって一度だけ、仕事をする友人を見て羨ましいと感じたことがあったけれど、自分で考えて子育てを選択したのだから、羨ましいと思うこと自体、娘に申し訳ない、そう思って気持ちを切り替えた。
迷ったら原点に立ち返る→娘と一緒にいると決めた思いは変わっていない→ならばブレているのは自分。そう自分を納得させて前に進んだ。
■ 復職のきっかけは何だったのですか。
シンシア:娘が大学に進学して子育てが終わったのだから、あとはただそれ以前に好きだった仕事に戻るだけ。理由は至ってシンプルよ。
—47歳でタイ・バンコクの学校カフェテリアで「給食のおばちゃん」として復職。その後、日本に帰国。バンコクでの実績とバイリンガルという強みがあるにも関わらず、再就職の壁を実感。駐在員向け会員制クラブで時給1300円の電話受付から再スタート。その後、外資系ホテル、東京2020オリンピック・パラリンピックのホスピタリティシニアマネジャーへと昇進。コロナ禍で失業も経験し、スーパーのレジ係を経て、60代で再びホテル業界へ。更に大手IT企業へと進む。
■ 就職活動が上手くいかない時、焦りはなかったのですか。
シンシア:私のキャリアは東京メトロ。行先は決めないで来た電車に乗り、乗客を見て、窓からの風景を見て、じゃあここで乗り換えるか…みたいなものよ。条件を削れば、どこかでスタートできる。スタートできればこっちのもの。目の前に来た電車に乗る、あとは一生懸命働いて実績を出すだけ。
■ キャリアップのヒントを教えてください。
シンシア:とにかく一生懸命働くこと、営業をすること、皆のやりたくない仕事を率先してすること。キャリアで成功する為にはとにかく実績。その為のポイントは
➀ 成長産業に入る
➁ キーパーソンを捉える
➂ 絶対に失敗しない仕事の仕方をする
あれもこれも手を出さず、集中すること。そして一生懸命働く中で、経験や情報を自分の中の引出しに入れて、いつでも取り出せるようにするの。
■ 管理職に対する考えを教えてください。
シンシア:管理職になりたいから管理職を目指すわけではなく、私は肩書が使えるなら欲しいし、使えないならいらないと思っている。管理職の経験が、次の転職に有利なら、昇給しなくても肩書を取りに行くし交渉もする。私の行動は至ってシンプルで戦略的なの。
■ 30-40代のキャリアに悩む方々に伝えたいことは何ですか。
シンシア:30-40代は、仕事の心配はしなくて良い。大丈夫だよ。世の中がこれだけ人材不足なんだから仕事はある。転職活動が不安っていう人がいるけど、見えない未来が不安ならデータを見ようよ。情報を集めようよ。
転職活動が上手くいかないなら、条件を減らせば仕事はある。できる仕事からスタートすれば良いんだよ。社会保険もあり、治安も良い日本で何を心配するの?皆、心配しすぎだよ。
★ 最後に…シンシアさんの話から感じたこと
シンシアさんの情報収集力と決断力に毎回爽快感を感じます。クールでスマートなだけでなく、温かさ溢れるお話は、自信とやる気を呼び起こしてくれます。
今回の私の気付きは、「情報を制する者は、数字を制する。その先にキャリアアップがある」ということ。営業力あるシンシアさんの言葉は心に響きました。営業職だけでなく事務職も、どんな仕事でも、情報と数字+人脈が成功のカギになると感じました。
東京メトロの例えも印象的。飛び込んでみなければ見えない景色があって、それは立ち止まっていては見えない。目の前に来たことを取り敢えずやってみて、それから考えてまた進む…この行動力がシンシアさんの生き方を物語っている気がしました。

