【自分で自分の限界を決めない。人生なるようになる!】
キャリアブレイクからの復職、その後のキャリアに関するインタビュー。
第5回のゲストは、【山口尚美さん】です。(以下、尚美)
今回のインタビューからの気付きは、『自分に無理をしないキャリアの描き方もある』ということ。周囲と比べて突出する必要はなく、自分にとって何が大切なのかを考え、背伸びをせず、進む道を選んで行く方法もあるのだと気付かせていただきました。
—– 大学卒業後、オフィスコンピューターのインストラクターとして社会人の一歩を踏み出した尚美さん。パッケージソフトの操作指導に3年間従事し、社内結婚により退職。当時は結婚退職が当たり前の時代でした。しかし退職後すぐに「これからどうしよう」という焦りが芽生えたそうです。
■ 退職後すぐに復職への思いを感じていらっしゃいますが、その後についてお話しいただけますか。
尚美:退職後、間もなくして、一般事務(パート)として復職しました。でも仕事にやりがいを感じることができず、将来を模索していたところに子供を授かり、再び退職することになります。その頃から、幼い頃に好きだった絵を描くことに魅せられるようになります。友人の勧めで講談社のイラスト通信講座に挑戦し、子育てをしながら絵を描き続ける中で、イラストレーターになりたい夢が膨らんでいきました。すぐにイラストレーターになれるわけでもないので、じっとしていられず、一番下の子が生まれた頃、生協の配送の仕事に就きました。子供を車に乗せて、配達作業をこなしていました。
■ 通信講座を終えて、イラストとはどのように関わっていらっしゃいましたか。
尚美:30-40歳にかけて、出版社等に絵を持ち込んだりしていました。雑誌「Lee」や健康雑誌のイラストを少しずつ描かせてもらっていたのですが、なかなか思い通りにいかない日々が続きました。ある時、有名なイラストレーターの方に自分の作品を見せる機会があり、そこで厳しい指摘を受けました。40歳手前で自分には才能がないと思い、そこから職探しに方向転換することになります。そんな折、自治体のIT講習会アシスタント職を見つけて応募しました。
■ 大学卒業後に従事したインストラクターに再び挑戦する機会を見つけられたのですね。
尚美:はい。今度はオフィスコンピューターではなくパソコンのインストラクターの仕事に復帰し、小学校で子供たちに指導したりもしました。当時所属していたNPOからパソコンの資格取得を勧められて、検定試験にも挑戦しました。短期のパソコンインストラクターを転々としていましたが、やっと採用してもらえたパソコン教室が閉校になってしまったのです。
■ 突然の失職から再就職されることに困難はありませんでしたか。
尚美:壁や困難を感じることはありませんでした。所属していたNPOからファミリーサポートセンターの仕事に就かないか、と声をかけていただき、とりあえずやってみようと飛び込みました。その後、このNPOが関わっていた市の公共施設のオープンにも関わり、パートから嘱託職員を経て、正社員となりました。
■ 来年度、定年を迎えられるそうですが、その後のキャリアについてお聞かせください。
尚美:今年65歳を迎えますが、引き続き現職に従事させていただく予定です。ただ徐々に仕事から自分の時間にシフトしたい思いもあるので、フルタイムではなく、週数回の勤務形態を希望しています。その分、細々と続けていたイラストに軸足を置きたいと思っています。
■ 今までのご自身のキャリアを振り返っていかがですか。
尚美:人生の節目節目で、キャリアに対する焦りや居場所がないような感覚に陥る時もありましたが、その都度不思議と目の前にチャンスが訪れて、それを掴んで一生懸命に取り組むことを繰り返してきました。振り返ってみると、そこに自分が歩んできた道ができていました。仕事から離れて専業主婦になった時、仕事を再開したい思いはありつつも、正直バリバリ働く自分は思い描いていなかったので、その分、できていない自分を責めるような挫折もなかった気がします。
■ お話を伺うと、イラストが一番好きな仕事と感じますが、今後の夢は何ですか。
尚美:イラストを描くのがやっぱり好きですね。今後は、本の挿画や表紙、ファッションのキービジュアル等に挑戦したいです。挿画のコンテストにも応募したいと思っています。
★ インタビューを終えて
お話を伺いながら、常に仕事への想いを抱いている方だと感じました。そしてイラストというご自身の好きな分野を続けてこられて、それが定年後にワークキャリアからライフキャリアにシフトする時の新たな軸となることは素敵なことだと思います。


