【キャリア=仕事ではなく、キャリア=人生のデザイン】
キャリアブレイクからの復職、その後のキャリアに関するインタビュー。
第7回のゲストは、【松林冬子さん】です。(以下、冬子)
冬子さんとの出会いは、2024年5月。薄井シンシアさん主催の【キャリアは生き方の会】でした。当時の彼女は、仕事と育児の両立に悩み、表情からその深刻さが伝わってくる程でしたが、2024年10月に再会した時の表情は、驚く程、生き生きとしていました。5か月間のキャリアブレイクを取得した彼女の心境の変化についてお話を伺いました。
—– 米国の大学を卒業後、現地で就職。1年後に第二新卒として日本での就業に挑戦。英語のスキルが高く評価され、システムエンジニア(SE)の職を得る。32歳の時、社内で抜擢されて広報部門に異動。そこから広報としてのキャリアがスタート。キャリアアップを目指して常に邁進してきた中で、42歳の時、仕事と育児の両立の壁にぶつかり、キャリアブレイク取得を決断。2025年1月に復職し、現在は日系コンサルティング企業のグループITコンサルティング部部長代理として活躍している。
■ キャリアブレイクを考えた背景は?
冬子:子供に泣かれたことがきっかけでした。忙し過ぎて約束がなかなか守れず、待たせてばかりだったある日、子供に「ママのことは信用できない」と言われて、自分の人生の優先順位は何だろうと考えさせられました。罪悪感でいっぱいでした。
■ キャリアブレイクを決断したきっかけは何でしたか。
冬子:子供に我慢させてまでキャリアを突き詰めるのは違うと思う一方で、キャリアは止めない方が良いというアドバイスをいただくこともあり、仕事を辞める勇気が持てずにいました。そんな時、薄井シンシアさん主催の【キャリアは生き方の会】に参加して、キャリアブレイク後に復職して活躍する方々にお会いしました。キャリア=仕事だと思っていましたが、キャリア=人生のデザインだということに気付かせていただきました。キャリアアップは、人生をより豊かにするための挑戦、Expansion(世界を拡げること)だと思っています。
■ キャリアブレイク取得前と取得後でキャリアブレイクに対する感じ方は変わりましたか。
冬子:すごく変わりました。ワークライフバランスという言葉がありますが、「ワークライフバランスは人生全体で取ればよい」というシンシアさんの言葉になるほどと思いました。働くことがベースにあって、その上で休みや自分のプライベートの時間を持つというのではなく、働く時もあれば、休む時もある。人生全体でバランスを取ることは、長い目で人生を見た時に大切だと感じました。
■ 40代の転職活動について教えてください。
冬子:従前の転職の目的はキャリアアップでしたが、今回は「子供との時間」が最優先だったので、エージェント経由の紹介にアンマッチを感じる場面もありました。エージェントは、キャリアアップ前提に以前より責任あるポジションを紹介することが多かったので。
キャリアブレイク開始直後は焦りがあって、例えば職業欄に会社員と書けなくなる等、自分のアイデンティティを失ったような気がしていました。キャリアブレイク中も転職活動を続けていましたが、活動前半は書類選考が通過しなくて、時期尚早だったなと感じることもありました。思い切って活動を中断し、夏休みにキャリアの棚卸しをしたことで、履歴書の書き方もブラッシュアップできた気がします。自分がどう進みたいかも明確になっていきました。面接では「なぜ次の職を見つけずに退職したのか」という質問も受けましたが、理由を明確に説明できれば、企業はキャリアブレイクを理解してくれることもわかりました。
■ 座右の銘は何ですか?
冬子:「子育て中は自分+子供の人生を考えなくてはならないので、特にワークキャリアにおいては思い通りにいっていないような気がする局面もありますが、瞬間瞬間で何が自分たち親子にとって幸せかを考えると自ずと答えが見える気がします」
以前、リサさんに頂いた言葉です。今回、広報管理職と現職の間で選択を迫られ迷った時期がありましたが、自分の思い描くワークキャリアとは少し違うかもしれないけれど、今は子供との時間を選択していいんだと思えました。瞬間瞬間で考えて決断していい、それが正解なんだと思えたんです。
★ インタビューを終えて
私の言葉を手帳に書き留めてくださっていたことに感動しました。「子供に頑張る姿を見せるだけでなく、仕事や人生を生き生きと楽しんでいる姿を見せることも大切だと思っています」と語る冬子さんの姿は凛として、強さと優しさを兼ね備えた、ヒーローのような格好良いお母さんそのものでした。これからも応援しています。

自分を信じることの大切さに気付かせていただきました。
