【後編】キャリアを手放して見つけた“今日を生きる力” ―家族の介護と不登校が教えてくれたこと〈Career Break Diary vol.4 新井里美さん〉

家族の現実に向き合い今日1日を積み重ねて“明日”に繋げていく

前編では、アメリカで長く過ごされた後、日本へ帰国され、新たな環境での再スタートされた里美さんの歩みをお話しいただきました。

【前編】キャリアを手放して見つけた“今日を生きる力” ―家族の介護と不登校が教えてくれたこと〈Career Break Diary vol.4 新井里美さん〉

後編では、ご家族の変化とともにキャリアの歩みを止めた里美さんが、どのような思いを抱き、日々を過ごされているのかを伺います。

介護、不登校という家族の大きな出来事とご自身の新しいお仕事のことが重なって、心が追い付かない場面もあったのではないでしょうか。里美さんのお仕事はどうされていましたか。

9月に父が倒れたときは、入院や手術の手配などで、一ヶ月程休みを取ることを会社に了承してもらいました。この頃はまだコロナ禍だったのでほとんどリモート勤務で、年末には仕事にも戻れていました。新しいポジションには12月1日付けで就いたのですが、本来なら「頑張ろう」というエネルギーが必要な時期なのに、私はもう本当に疲弊していて。年末年始で少し休んだり勉強をしたりしましたが、1月は頑張ったんですけど、2月の最初にもう精神的にどうしようもなくなってしまいました。父のこと、娘のこと、新しいポジションのことが重なって眠れなくなって。結局、2月の最初に「休職します」と伝えて、そこからしばらく休んだあと、職場に戻ることはありませんでした。

その後お二人目のお子さんも学校へ行けなくなったとお聞きしています。

最初は、上の子が不登校になっても、下の子は一年半くらい普通に学校に通って頑張っていたんです。でも、同じく三年生の秋に不登校になって、お姉ちゃんとほとんど同じタイミングでした。下の子のときは、不思議と抵抗なく受け入れられましたね。むしろ、「これまで本当に頑張って学校に行っていたね」、「ゆっくり休んでいいからね」と素直に伝えることができました。

始めは、上のお子さんが外出できないほどだったのでしょうか。

そうなんです。最初の一年半は、家から物理的に一歩も出られない“ひきこもり”の状態でした。でも、ある日動悸がひどくなって、「救急車を呼んで」と本人が言ったことがありました。結局は何もなかったのですが、そのような非常時に一度外に出られたことで、少し自信がついて少しずつ外へ出られるようになりました。

少しずつ状況が変わったのですね。それからお子さんは学校に行くときもありますか。

たまに行くんですよ。遊びに行くだけなんですけど。ちょっと外に散歩に出てみたり、コンビニに行ってみたり、そういうことが少しずつできるようになりました。不安だけど嬉しいですね。無理はしてほしくないけれど、少しずつ外の世界でも、楽しい思い出や体験をしてもらえたらと思っています。

お子さんが学校に行かなくなってから今まで里美さんの心の変化はありましたか。

最初は、「なんで私にこんなことが起こるの?」という気持ちでした。ひどい親だと思いますが、娘の不登校は自分のキャリアにとっての障害としか思えませんでした。「不登校は一時的なものに違いない」とか、自分なりに意味づけをしたり、状況をコントロールしたりしようと必死になっていました。でも、いま振り返ると、やっぱり受け入れることからしか始まらないとすごく感じます。前の私だったら許せないようなことが今は山ほどあるんだけれど、「ダメだったらもう仕方ない」「あとは自分で気づいてもらうしかない」そんな境地にたどり着いた感覚がありますね。

葛藤やお子さんへの思いを経ての変化があったのですね。里美さんは、今はお仕事をされていますか。

結局、「フルタイムは無理だな」というところにたどり着きました。また、かねてから言語を使ったコミュニケーションの分野を極めたい気持ちもあったので、資格を取得して日本語教師になりました。非常勤という働き方なら、今の自分の状況にも合うんじゃないかと思ったんです。今は、単発で完結するような、小回りの利く仕事がいいんですよね。継続的に大きなステークホルダーに影響を与えるような“壮大な仕事”ではなく“一つの単位で終わる仕事”をしたいと。日本語教師は、一クラスという単位で完結できます。今は日本語学校で留学生向けの3時間の対面のクラスを週二コマ、企業の就業者向けのオンラインのクラスを週六コマ受け持っています。

今の働き方をどのように感じていますか。

今の週20時間くらいがちょうどいいですね。子どもが「今日学校に行きたい」と急に言い出したときに対応しなければならないこともあります。もっと時間の自由度を得るという意味では、得意な英語を活かせる翻訳者も向いているのかもしれないと思い、日本語教師とフリーランス翻訳者の二刀流のポートフォリオキャリアを描いた時期もあったのですが、これがなかなかうまくいかず。今では無理に自分のスキルのマネタイズをしようとしなくても、シンプルに自分に向いている方、そしてご縁のある方に方向転換すればいいや、とゆるく考えています。

いずれにしてもあまり無理のない範囲で働くことが、今の自分にとってとても大事なキーワードです。大きな社会的インパクトじゃなくていいんです。小さくても、周りの人の役に立って、その対価としてお金をいただけるなら、それが一番心地いい。それと、将来的には、不登校のご家族の気持ちを軽くしたり、これまでの“当たり前”にとらわれてきた価値観から解放されるお手伝いをしたり、そういうことを実現できる仕事や活動をボランティアでもいいので、何らかの形でしていけたらいいな、というすごく大きくて曖昧なビジョンも持っています。私がここ数年鍛えられている“当たり前からの離脱力”というものは、もしかしたら誰かを悩みから解放してあげられるヒントになるかもしれないので。

私も子育てをしながら個人で働いていますが、今ある力で「小さな社会的インパクト」を持てることは自分を保つうえでとても大事だと感じます。里美さんは、会社員に戻りたい気持ちはありますか。

答えとしては“グレー”です。安定も魅力的ですし、自分のスキルに見合った待遇は承認欲求を満たしてくれるし、嬉しくないはずありません。でも、結局のところ自分にとって一番身近で大事で、そして社会的責任のある組織は、“企業”よりも“家族”なんですよね。これは美談ではなくて、ノンフィクションの現実です。会社で私が倒れても代わりがききますが、家族は家族同士で助け合うものですよね。今までそんなことに気づかなかったのは、両親が支えてきてくれたからです。これからは私が支える番です。家族が幸せで倒れないこと、持続可能であることが何より大事だと感じています。当たり前のことなんだけれど、それを保って運営していくのが「こんなに大変なんだ」と、ここ数年ですごく実感しました。

それと、“キャリア”という言葉は、結局“人を人材として認知する”考え方だと思うんです。企業の売上や成長のために、どれだけ価値を提供できるか、そういう視点で語られるのがキャリアですよね。でも私は“人材”である前に、一人の“人間”で、私の人間としての一番の責任はやっぱり家族のために生きる、ということだと思うんです。これまでの自分にとっての“成長”はキャリアアップや昇進、昇給だったけれど、今は“今あるものを大切にすること”とか、“命があることをありがたく思うこと”とか、次元の違うところに強制的に連れてこられたような感覚です。大げさに聞こえるかもしれませんが、まさに魂の修練みたいな感じです(笑)。だから今は、会社に戻るイメージが全く持てないんです。戻れないし、自分の存在がその領域にrelevance(関連性)がないようにも感じています。

これまでたくさんの思いの変化があったと思いますが、里美さんが会社を辞めて得たものは何だとお考えですか。

「すべてが直線的に右肩上がりに進むわけではない」ということを強く感じます。人は誰しも「常に成長し続けなければいけない」という成長神話や「成功しなければ意味がない」という成果主義の呪縛に囚われていると思うのですが、人間はビジネスじゃない。実際は、人間って社会的な存在で、自分の気持ちとは裏腹に家族や社会の中でいろいろなことが起きるじゃないですか。過去のデータや戦略的な思考も役に立たないことだらけ。その時の周りの環境によってただただ微調整を続けていくわけですよね。その微調整する能力、いわばキャリブレーション力が今、試されていると思うんです。そして、振り返ったときには、その選択を自分で“正解にしていく”しかない。たとえ一度は「間違えた」と思ったとしても。

だからこそ、今日を元気に生きること、未来は“明日の連続”でしかないという短期的な生き方に立ち返ることができた。生産性とは無縁なVUCAな毎日を、子供達と共に一歩ずつ、その日にベストな方法でご機嫌に過ごしていくことの尊さに気づきました。仕事やキャリア、会社という箱からいったん外に出されたことで、俯瞰して人生を見る力を養う機会をもらえた気がします。“ブレイク”というよりはこの“リフレクション(内省)の時間”が、まさにそれを与えてくれたと思っています。

里美さんのお言葉から、今という時間を大切に生きることの重みを、改めて感じます。

インタビューを終えて

お話を伺っていて印象的だったのは、里美さんが強い意思を持って新しい環境やキャリアに挑戦し続けてきたことでした。だからこそ、立ち止まらざるを得なかったときの戸惑いは、きっと大きかったことと思います。はじめは複雑な気持ちに揺さぶられながらも、家族を支える中で、ご自身が今一番大切に思うものに気づかれたのだと伝わってきました。

そして、里美さんが行き着いた境地は、遠い未来の計画よりも、今日の家族を支える行動を一つずつ積み重ねていくこと。その姿勢に、私自身も「日々の暮らしの中で、もっと家族のことに向き合っていきたい」「今あるものに感謝したい」――そんな思いが自然と湧いてきました。
里美さんが話してくださった“今日を生きる”という感覚をいつも胸にしまっておきたいと思います。

里美さん、心に残るお話しをお聞かせいただき、本当にありがとうございました。

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By Yuna Suemune

本サイトの運営者。鉄道業界での建築設計、外資系メーカーでの営業・マーケティング業務を経て、家庭と仕事とのバランスを考慮し現在は正社員としての働き方をお休み中。得意なレイアウトデザインと一級建築士の資格を活かして、個人事業主として教材や資料制作などの仕事を行う。2025年1月に里帰り出産も兼ねて地元九州に移住し、3月に第一子を出産。福岡の自宅で仕事をしながら子育てに奮闘中。

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