「行くって決めたなら最大限楽しむ」

横浜出身、現在は愛知県在住の天野優歌さん。2児の母でありながら、自分らしく海外生活を楽しんだ彼女の言葉には、しなやかな強さと柔軟さがにじんでいます。 海外への興味は、中学生の頃から自然と育まれてきました。横浜市の国際平和スピーチコンテストで入賞し、ニューヨークの国連本部を訪問した経験は、若き日の彼女にとって大きな原体験に。さらに高校ではマレーシアへの1年間の留学も経験し、「いつかまた海外で暮らしたい」という想いをずっと胸に抱いてきたといいます。 「夫の中国駐在が決まったときも迷いはありませんでした。 “せっかくのチャンスなら、行かない理由がない”。自分の海外経験もあったし、子どもたちにもその経験を一緒にさせたいと思って。」 とはいえ、当時はコロナ禍。先に中国へ渡航した旦那さんと1年後に現地で合流し家族での中国生活が始まったものの、感染対策が厳格な中国での生活には不安もあったと言います。 「でも、自分で“行く”と決めたからには、最大限楽しもうと決めてました。」 そう話す天野さんの声は明るく、迷いがない。現地での生活をふり返ると、「できないこと」より「できること」に目を向けた日々だったといいます。 「日本にいたらこうだったな」じゃなくて 「日本にいたらこうだったな、じゃなくて。そこに行ったからできることっていっぱいあると思う。時間があるっていうのもアドバンテージだった」 その“時間を味方につける”発想が、天野さんの海外生活を豊かにした。朝の市場を歩いてみたり、地元の方でにぎわう体育中心と呼ばれる広場でおばあちゃんたちとストレッチしたり。青空の下で体を動かす“青空ジム”は、やがて彼女の大切な居場所になっていきました。 「中国語も勉強したし、生活が楽しくなって。たまにさぼってると“来なくなったね”って言われたり。日本に帰国するときはお守りをくれた。日々のこういうふれあいって、日本にいたらなかなかできないことだと思う。怖い情報もあるけど、実際に動いてみて、ふれあってわかることがある。動き方次第、考え方次第で海外生活って変わるなって思った。」 話しながら、当時の風景を思い出しているように少し声が弾む。現地の方との交流を心から楽しんでいた様子が伝わってくる。 “我是外国人”から始まった関係 「最初は言葉もできなかったから、“我是外国人(私は外国人)”って言ってた(笑)。でも毎日、週に何回も行くから、顔を覚えてもらって、“おはよー”“あっち空いてるよ”って声をかけてもらえるようになった。」 少し照れくさそうに笑いながら、当時を振り返る天野さん。 少しずつ打ち解けていく中で、地元のおじいちゃんおばあちゃんたちが自分の過去や家族の話をしてくれるようになった。 「昔は田舎から出稼ぎで来て大変だったけど、今はのんびりして孫と飲茶するのが幸せだよとか。戦争の話をしてくれた人もいて、“日本の政府は好きじゃないけど、日本人だからって嫌いじゃないよ”って言ってくれたの。そういう言葉にすごく救われた。」 国を超えて、心が通い合った瞬間の記憶だった。 でも、最初からそんな風になじめたわけではない。 「最初はね、いろんな人がいるから、必ずしもみんながWelcomeじゃないの。中国語わからないと無視されることもあるし、最初は“もう無理”って思って帰りたくなる時もあった。でも、“外出たくない”って引きこもらずに、続けてみることが大事だなって思った。」 “みんなと仲良くしなくていい”という学び 経験からにじむ言葉には、優しさと強さがある。人間関係の築き方も、中国で気づいたことだという。 「駐在妻って、マンションが一緒、学校が一緒、バスが一緒という理由だけで集まらなくちゃいけない時もある。でも、 みんなとみんな友達にならなくていいって思えたのはすごく大きかった。」 “無理に仲良くしようとしなくていい”。その気づきが、どんな土地でも自分らしく過ごす力になっていく。 「  “子供の学校が一緒だから”じゃなくて、自分の“好き”の接点があるとすごく心地よい。”語学が好きだから”とか”辛い物が好きだから”とか、好きの気持ちが一緒の人といるってすごく大事だなと思った。」 “好き”というキーワードを口にするとき、声が少し高くなる。心から楽しんでいた時間を思い出しているのだろう。 “自分で作る環境”と“与えられた環境”は違う。だからこそ、自分の核になる“好き”を持つことが、心のバランスを支えてくれたと天野さんは語る。 「挑戦してみて、いやだったらやめればいい」 「幼稚園では親として何も参加しなくても卒園できた。でも、せっかくだからと思ってボランティアをしてみた。」当時を振り返って天野さんは語る。 「 先生とのコミュニケーションもとれたし、卒園してからも仲良く遊ぶ友達ができた。挑戦してみるって勇気がいるけど、やってみて、いやだったらやめてもいい。得られるものが多かったと思う。」 その潔さと軽やかさが、彼女らしい。 「仕事で行ってるわけじゃない。だから失うものもない。それってすごい強みだと思う。自由だよね。」 “自由”という言葉を言い切る声は、どこかすがすがしい。 「自分の機嫌は自分でとる」 あまりにも前向きに楽しかった日々を語る彼女に、大変なことはなかったのか聞いてみた。 「心がおれる時もあったよ。でも、旦那さんの仕事のために来てるわけだから、自分の機嫌は自分でとらなきゃいけない。ジムに行き始めたのも、自分のリフレッシュの時間だった。24時間空いてるジムがあって、どれだけお世話になったか。」 話しているうちに、自然と笑い声がこぼれる。苦しい時期を越えた今だからこそ、穏やかに話せるのだろう。 「家族の空気がちょっとイヤな感じになったら、“散歩行ってくる”って言って外に出たり。そういうストレス改善方法を見つけておくのってすごい強いと思う。リフレッシュって特別なことじゃなくていい。行きやすいお店見つけて、大好きなワンタンメン食べるとか、それで十分。」 自分が何で元気になれるかを知っておくことが大事だと彼女は語る。 「豪華なご飯や飲み物も経験したけど、自分はそれはリフレッシュにはならなかった。人によっても違うと思うから、自分は何をしたら元気になるのか、色々やってみて知ることも大事」 その言葉には、現地で生きていく中で身に着けた彼女の強さが見えてくる。 「青空ジム」からつながった仕事 中国から日本に帰国して10か月。最近ジムで仕事を始めたという天野さん。 「日本に帰国してからもずっとジムに通っていた。子どもが学校に慣れるまでの1年はパートにしたいと思っていたけど、子供が思っていたよりもすぐに生活に慣れたから、 毎日ジム行く時間もあるし、他にすることないから“働こうかな”って。ホリエモンの本に、“流れに身を任せて、面白いと思ったらやってみればいい”って書いてあって、 じゃあやってみようって(笑)。」 海外で見つけた“青空ジム”から、今では職場としてのジムへ。新しい環境でも、軸は変わらない。 「中国のおばちゃんたちとの運動から始まって、今は室内のジムにいるけど、実はあの時につながっているって感じる。中国では、ちょっとしたあいさつではじまって、迎え入れてくれる人がいて。話しかけてくれた人たちがいたから心地よかった。今は、自分が迎える側になって、“気持ちよく来てもらえるように”って意識してる。恩送りだなって思う。」 “恩送り”という言葉を口にしたとき、声がふっとやわらいだ。そこには、過去と今が静かに結びついている。 行くと決めたなら、最大限楽しむ 「怖い情報も不安もあるけど、実際に動いてみたら見える景色って変わる。行くって決めたなら、楽しむだけ。できないことに目を向けるんじゃなくて、“ここでしかできないこと”を見つけた方がいい。」 天野さんの言葉には、海外生活を越えて“どんな環境でも自分らしく生きるヒント”が詰まっていました。… Continue reading 「行くって決めたなら最大限楽しむ」

駐在同行生活って何してる? 2年半で築いた語学交流会

2022年の夏、夫の駐在に同行することを決めて中国・広州へ渡りました。会社を退職し、私のビザでは現地で働けなかったため、仕事はしていませんでした。 「じゃあ毎日なにをしていたの?」とよく聞かれます。駐在に帯同していた間にはいくつかの活動をしていましたが、その中でも印象に残っているのが 語学交流会 です。 小さく始めた「広州語学交流会」 2023年の頭、中国語の勉強をはじめて数か月たち、語学力を伸ばすために会話練習をしたいと思った頃。 語学交流会、語学ミートアップなどを探してみましたが、コロナの影響でオフラインのイベントはゼロ。 思い切って「広州語学交流会」という活動を自分で始めてみました。週に一度、カフェに集まり、語学を練習するだけのシンプルな会。 続くかどうかもわからない、でもまずはやってみようと思って始めたのを覚えています。 参加者は少しずつ増えていった 最初は友人10人ほどに声をかけ、集まったのは毎回3〜5人。カタコトの中国語と、ほとんど日本語で、それでも「練習したい」という気持ちを持った人が集まることが嬉しくて、毎週続けていました。 そこから少しずつ広がり、半年後には登録者が170人に。日本人の参加者が当初は多かったのですが、駐在に同行してきている方は、いつか帰国のタイミングがやってくる。 定期的にメンバーが帰国してしまう状況では持続性がないかもしれないと気づきました。 この活動をより長く続けたいと思い、現地SNSに活動を紹介してみると、一気に問い合わせが殺到。1か月で100人以上増え、対応しきれず募集を一度止めるほどの大盛況! その後も口コミやSNSでのご案内で参加してくださる方が増え続け、最終的に、私が帰国する頃には700人を超えるグループにまでなりました。 毎週の楽しみになった時間 毎週金曜日の午前中、広州のカフェに集まっては、日本語や中国語や英語が入り混じる会話を楽しみました。時には、広東語、フランス語、スペイン語など様々な言語が飛び交うことも。 旅行や出張で広州に来た方が「前から参加してみたかった!」と立ち寄ってくださることもあり、本当に嬉しかったです。 駐在同行生活を振り返って 振り返ってみると、中国での2年半の中で、この語学交流会は大切な居場所でした。ゼロから始めた小さな集まりが、国籍も言語も違う方たちをつなげる大きなコミュニティになったこと。それは、同行期間の思い出の中でもとても心に残る経験の一つです。 その後のこと そして、その交流会は今も続いていて、登録者は1000人を超えました。当時の私には想像できなかった広がりです。 「駐妻って何をしているの?」と問われたら、私はこう言います。「現地でしかできない経験を、思いっきり楽しんでいました!」と。

「全部できなくて当たり前」そこから始めよう — 主婦経験を力に変える第一歩

いつもお読みくださいまして、ありがとうございます。キャリアコンサルタントの三橋久美子です。前回のブログでご紹介した「主婦業のリアルディスクリプション」。そこには、日々の主婦業が細かく整理された業務内容や、それに伴うスキル・経験が並んでいます。 でも、そのページを開いた瞬間、こう感じた方もいるかもしれません。 「これ、全部できていない…」「私なんてまだまだだ…」 実はそれは、あなただけではありません。「できていない自分を責めるためのもの」ではなく、「自分の経験や強みを見つけるための道しるべ」なのです。 “できていない”はマイナスではなく伸びしろ ジョブディスクリプションにある項目は、家庭運営に関わるあらゆる業務を網羅的に並べたものです。全部やっている人は、ごくわずか。もし全部やっていたら、それはもう“プロ中のプロ”です。 だからこそ、この表はチェックリストではなく参考地図として見てください。「ここは通ったことがある」「ここはまだ未経験」という地図上の位置を知るだけでOKです。 「できていない」と感じるところは、裏を返せばこれから経験や学びで身につけられる部分です。たとえば… 職務経歴書や自己PRでも、「これまでできたこと」だけでなく「これから伸ばしたいこと」を伝えることは、むしろ前向きな印象を与えます。 自己効力感が“やってみよう”を支える キャリア形成の土台になるのが自己効力感です。これは「自分はこの行動をうまくやり遂げられる」という感覚のこと。心理学者バンデューラによれば、自己効力感を高める方法は大きく4つあります。 今回のディスクリプション活用は、この1番と4番を同時に行える方法です。できたことを確認し(過去の成功)、今からできそうなことを一つ選び(小さな成功)、行動につなげていきましょう。 まずは“できていること”を拾い上げる スタート地点は、できていない部分の穴埋めではなく、できている部分の発掘です。 これらをまずは書き出し、「すでに持っている力」として認識します。そのうえで、「やってみたいこと」「学びたいこと」を加えていくと、自分の成長の道筋が自然と見えてきます。 まとめ ジョブディスクリプションは、あなたの不足を責めるチェックリストではなく、経験や強みを見つけるための道しるべです。全部できていなくて当然。できていることを拾い、やってみたいことを加えることで、自己効力感は着実に高まります。未来に向けて、「やってみたいこと」「学びたいこと」を見つけ、新しいあなたに出会うための地図にしてくださいね。 ※キャリアブレイク前後のご相談(離職・転職など)・人間関係など、幅広くご相談を承っております。詳しくはこちらのHPをご参照ください。納得の未来を支えるキャリアコンサルタント・三橋久美子のHP ※キャリアブレイクからの復職や転職をお考えの方は、是非「キャリア・リスタート準備度チェック 〜 私らしく働くための第一歩 〜」を実施してください。ご自分がどのくらい準備が整っているか、知ることができますよ! ※日々の家事や家族サポートを「見えるかたち」にまとめました。「家庭運営マネージャーの職務要約~主婦業のリアルディスクリプション~」・再就職に向けて、これまでの経験を整理したい方・ 面接や履歴書で「主婦業をどう伝えればいいか」悩んでいる方・ 自己理解やキャリアの棚卸しをしたい方そんなあなたに、おすすめの1枚です。