
キャリアブレイクダイアリーでは、キャリアの途中で立ち止まり、新しい人生を歩み出した人たちの声をお届けします。
前編では、ご結婚を機に信販会社を退職してから、息子さんの幼稚園・小学校受験に伴走するまで、大島加奈さんの道のりをお話しいただきました。後編では、休校が明けてからの歩みを伺います。
コロナ禍は、どう過ごされましたか。
小学1年生の2月から休校になりました。全国の学校が休校になると伝えたニュース速報は、今でもよく覚えています。息子の小学校は慎重に判断していて、休校は6月まで続きました。
再開後も1日2時間の分散登校で、気がついたら1学期が終わっていた、という状況でした。その後、車での通学が許可されたため、毎日送り迎えをしていました。小学4、5年生まで、2、3年間ですね。自分でも、超過保護だと思います(笑)。でも、自分がしたいと思っていたので、ストレスではなかったです。
車が禁止になったタイミングで、働こうと思えば戻れたと思います。ただ、その頃は息子の成績が思わしくなく、ここで支えなければと感じて、再び仕事復帰を見送りました。
加奈さんが「働きたい」「働こう」と思われる理由は何ですか。
そもそもの性格として、ずっと家にいるタイプではありません。時間ができると何かしたくなるので、息子ともほぼ毎日どこかへ出かけていました。ですから、働きたかったというよりは、ずっと家にいる生活はしたくなかった、という方が近いと思います。
実際、小学5年生のときには友人の会社を3ヶ月ほど手伝いました。私のスケジュールに合わせてくれると言ってくださったのでお受けしました。ただ、その年に注文住宅の家づくりと引っ越しが重なり、家のことをすべて私が担っていたため、期間限定という形になりました。
その後12年ぶりに会社員として復職されていますが、どんなきっかけだったのでしょうか。
新卒で働いていた会社が、アルムナイネットワークという退職者向けのネットワークを導入し、同窓会のような懐かしい気持ちで登録したことがきっかけとなりました。
その集まりで、当時の人事部長から「手伝ってほしい」と声をかけていただきました。その方とは、私が現役の頃に全国を出張していた時期に福岡で出会っていて、お互いに覚えていました。退職者のネットワークを運営する上では、社内にも退職者にも知り合いが多い方がやりやすい。だからこそ、私に声がかかったのだと思います。出張が多かったぶん、400名を超える社員と知り合いでした。
声をかけていただくまでは、働くことは全く考えていませんでした。
「息子優先」を条件に復職されたと伺いました。具体的にはどんな働き方ですか。
一度悩んで、夫に相談して、自由が利くのであれば良いのではないかと考えました。「息子優先で働けるのであれば、ぜひお願いします」と伝え、復職することにいたしました。
息子の学校の用事を最優先にすること。息子が帰ってくるまでには家に帰ること。そして、長期休暇は休ませていただくこと。この3つのことはお伝えしました。
雇用形態はパートタイマーで、扶養の範囲内でした。こうした働き方をしている方は、社内にはいなかったと思います。
約2年勤められて、その仕事を離れることを決めたのはなぜですか。
人脈を生かした仕事内容にはやりがいもあり、人事全般の業務はとても楽しかったです。ただ、業務内容と待遇のバランスに悩むようになりました。給料について相談もしましたが、改善は難しい状況でした。
そんな中、今年3月にキャリアブレイクのイベントで薄井シンシアさんにお会いして、「実は私、低賃金なんです」とお話ししたら、「あんた今すぐやめなさい」と言われて(笑)。それがきっかけで、6月から本当に初めてちゃんとした就職活動を始めました。東京都の女性向けキャリアチェンジ・キャリアアップ支援事業にも応募し、支援を受け始めるところでした。そして、シンシアさんのご縁のある会社から内定をいただきました。背中を押していただき、本当に感謝しています。
ただ、実際に働いてみると、働き方の相性が合わない部分がいくつかあり、短期間で辞めることになりました。ご紹介いただいたのに申し訳ないという気持ちで、すごく悩みました。描いていた未来が全部なくなってしまう感覚もありましたが、今は気持ちを持ち直して、「息子と一緒にいられる時間が手に入った」と思っています。
12年を振り返って、いま思うことを教えてください。
自分ではどうにもできないことが本当に多かったのですが、その中でも自分のしたいことは、できる限り実現してこられたのかなと思っています。
仕事であれば、自分のことなので、「合わない」と感じたら辞めるという選択ができます。でも、息子のことになると「嫌だから辞める」ができないですよね。「この人は合わない」と思う相手であっても、一緒にいて何かを成し遂げなければいけない。そのときにどう向き合うか。人として一番成長できたのは、そこだったと思います。
日本の会社は、似たタイプの人が集まりやすいと思っています。その中では9割の側にいても、外に出た瞬間、自分がマイノリティだったと気づくことがある。会社の生活だけでは気づけなかったことでした。 学校の先生、塾の先生、習い事の先生、同級生のお友達。老若男女さまざまな方と、それぞれに合った関わり方をする。息子や夫のためにどうしたらうまくいくか、みんなが良くなるにはどうしたらいいか。そうやって考え続けてきた12年でした。
これから、どんな働き方をしたいと考えていますか。
東京都の支援事業のeラーニングで学んだり、資格の勉強をしたりしながら、就職活動を続けていくつもりです。仕事の内容としては、人事系のお手伝いをしてきたので、その領域に関心がありますし、英語を使ったお仕事や、経験してきたお受験・注文住宅についても何か仕事に繋げられると嬉しいです。また、自分の強みを考えると、自分が表に立つよりも、一緒に案を出しながら誰かを支える役割の方が向いているのではないかと思い、そうした仕事を模索しています。
息子のためにしっかり稼ぎたいという思いは、どんどん強くなっています。進学の際に、選択肢で迷わなくて済むようにしてあげたい。実は息子はいま、寮生活をしていて、離れて暮らしております。いざ離れてみると、一緒にいたいという気持ちの方が強くて。毎日出社してがむしゃらに働くと、休みのときにも一緒にいられなくなってしまう。あと数年は、一緒にいられる時間を大事にしたいと思っています。
インタビューを終えて
仕事をしている方が、いろいろな成長につながる。私はどこかでそう思い込んでいました。
でも加奈さんは、会社を出たからこそ気づけたことがあると話します。合わないと思っても辞めるという選択肢のない場所で、さまざまなタイプの方と関わり、一緒に何かを成し遂げていく。そこで人として一番成長できた、と。
子育てをされている間、「働けなかった」と加奈さんはおっしゃいますが、毎日の送り迎えと、復職の条件がそうであったように、その判断の中心にはいつも息子さんがいました。離れて暮らすようになって、かえって一緒にいたい気持ちが強くなったという言葉にも、それが表れていたように思います。
数年先を見据えて、加奈さんは次のステージへ向かっています。「働けなかった」と言うその時間に積み上げてきたものが、これからの加奈さんを支えていくのだと思います。
加奈さん、貴重なお話をありがとうございました。

